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ジャクソン5の初代プロデューサー、ボビー・テイラーが死去

Bobby Taylor - Soul Legend

60年代にMotown Recordsで活躍した歌手であり、またジャクソン5(Jackson 5)をMotownに紹介し、ジャクソン5のデビュー・アルバムのプロデュースを務めたことでも知られるソウル・レジェンド、ボビー・テイラー(Bobby Taylor)が22日に亡くなったことが発表された。83歳だった。

ワシントンD.C.生まれのボビー・テイラーは、様々なグループでボーカルを務めた後に異人種混合バンドで活動。カナダのバンクーバーにあったサパー・クラブ[The Cave]で働いている時にシュープリームスのメアリー・ウィルソンとフローレンス・バラードの前座を務め、気に入られてMotown Recordsと契約。この時にグループ名をボビー・テイラー&ザ・ヴァンクーヴァー(Bobby Taylor & The Vancouvers)と改めた。Motownで彼らは、“Does Your Mama Know About Me”や、アシュフォード&シンプソンが手がけた“I Am Your Man”、スモーキー・ロビンソンによる“Malinda”といったヒットを1968年に放つ。

そしてこの年、シカゴの公演で前座を務めたジャクソン5というグループに惹かれたボビー・テイラーは、ベリー・ゴーディ(Berry Gordy)らMotownの重役たちに見せるためにジャクソン5をデトロイトへと連れていき、Motownのオフィスでオーディションを受けさせた。これがきっかけでジャクソン5はMotownとの契約を獲得する。1969年に発表されたデビュー・アルバム『Diana Ross presents The Jackson 5』で、ボビー・テイラーは“Who’s Loving You”や“My Cherie Amour”のカバーなど、全12曲中10曲のプロデュースを務めている。しかし、ボビー・テイラー指揮によるソウル・カバーの路線を古臭いと感じたベリー・ゴーディが、プロデュース・チームのコーポレーション(The Corporation)にオリジナル曲を作らせ、代表曲“I Want You Back”が生まれることになった。

ボビー・テイラーはその後、Motown内のV.I.P. Recordsへと移ってソロとして活動を続けるが、ベリー・ゴーディやレーベル側との対立もあり、1971年に契約は終了。渡英してボビー・テイラー&ザ・ニュー・ヴァンクーヴァーズを結成し、イアン・レヴィンによるMotorcity Recordsから1991年に『Find My Way Back』をリリースした。

2000年初頭に北京での仕事を経験した後、近年は香港に移住しており、亡くなったのも香港の病院でだった。白血病と脊髄腫瘍の治療を受けていたという。ヴァンクーヴァーズのメンバーで、後にコメディ・コンビのチーチ&チョンの片割れとして知られることになるトミー・チョンは米Rolling Stone誌に対し、「パティ・ラベルすら打ち負かすほどの音域の持ち主だった。信じられないほどの高音を出したかと思えば、彼はどんな人の歌い方でも歌えた……マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダー、スモーキー(・ロビンソン)とか。多くのシンガーをこれまで見てきたけど、ボビーのような人はいない」とその歌声を褒め、また「どう歌うべきかを教えることこそ、彼の最大の才能だった」とプロデューサーや指導者としても優れていたこと振り返っている。