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「マイ・シェリー・アモール」などを手がけたモータウンのソングライター、シルヴィア・モイが亡くなる

Sylvia Moy

“My Cherie Amour”などスティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)の楽曲を中心に多くのMotown名曲に携わったソングライターでプロデューサーのシルヴィア・モイ(Sylvia Moy)が先週4月15日に亡くなったことが発表された。78歳だった。

デトロイト出身のシルヴィア・モイは、1963年にデトロイトのクラブで歌っていたところをマーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)らによって発掘され、Motown Recordsと契約。レコーディング契約、マネジメント契約に加えて、ソングライターとしても契約し、レーベルからはまずソングライティング優先でオファーされたという。そしてスティーヴィー・ワンダーの“Uptight (Everything’s Alright)”をスティーヴィー、ヘンリー・コズビー(Henry Cosby)と共に手がけ、1966年にこれが大ヒットしたことをきっかけに、“I Was Made To Love Her”、“Shoo-Be-Doo-Be-Doo-Da-Day”、“My Cherie Amour”、“Never Had a Dream Come True”といったスティーヴィー・ワンダーのヒット、名曲を生んでいった。

他にも、アイズリー・ブラザーズ(The Isley Brothers)の“This Old Heart Of Mine (Is Weak For You)”、マーサ&ザ・ヴァンデラス(Martha and the Vandellas)の“Honey Chile”、マーヴィン・ゲイとキム・ウェストン(Kim Weston)の“It Takes Two”などに携わっており、その功績を讃えられ、シルヴィア・モイは2006年にはソングライターの殿堂(Songwriters Hall of Fame)入りを果たしている。60年代当時、女性ソングライター/プロデューサーが活躍することは珍しく、兄弟のメルヴィン・モイは、「シルヴィアは、この音楽業界における、女性を阻むガラスの天井を破りました。60年代は女性が楽器を演奏することを奨励されませんでしたし、ましてプロデューサーになるなんてあり得ませんでした」と振り返っている。近年は、デトロイトで音楽教育に携わっていたほか、[Masterpiece Sound Studios]というスタジオを立ち上げるなど地元で後進の指導にあたっていた。

シルヴィア・モイが亡くなったことは、姉妹のアニータ・モイが地元デトロイトのメディアに対し明かした。シルヴィアは、肺炎によりデトロイトの病院に入院しており、入院後に肺炎による合併症によって4月15日に亡くなったとのこと。シルヴィア・モイの[Masterpiece Sound Studios]で何度もレコーディングしているMotown所属のケム(KEM)は、「シルヴィアのスタジオでレコードの作り方を教わった。ありがとう。あなたの功績はこれからも生き続けます」と追悼コメントを発表している。