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オハイオ・プレイヤーズ/Pファンクのジュニー・モリソンが亡くなる

Walter "Junie" Morrison

オハイオ・プレイヤーズ(Ohio Players)の初期メンバーで、パーラメント/ファンカデリック(Parliament/Funkadelic)での活動などで知られるファンク・レジェンド、ジュニー・モリソン(Walter “Junie” Morrison)が亡くなったことが明らかになった。62歳だったとされる。

この訃報は、主に80年代のエレクトリック・ファンクなどから影響を受け、「モダン・ファンクの伝道師」とも呼ばれるデイム・ファンク(DāM-Funk)がTwitterで伝えた。2015年に発表された『Invite The Light』のオープニング曲“Junie’s Transmission”などでジュニー・モリソンをゲストに迎えていたデイム・ファンクは、「ウォルター“ジュニー”モリソンの娘アカーシャが、彼が亡くなったという報せを電話で伝えてくれた」と伝え、「俺のヒーローのひとり。俺のキングのひとり」などとジュニーを追悼している。その後、ジュニー・モリソンの公式Facebookページで、娘のアカーシャ・モリソン名義で、ジュニー・モリソンが亡くなったことが正式に発表された。死因は明かされていない。

またデイム・ファンクは、『Invite The Light』(⇒ 全曲フル試聴可)の発売元であるStones Throw Recordsに追悼文を寄稿。ジュニー・モリソンのキャリアを簡潔に紹介しながら、「多くのスタイルの音楽を作った人だが、彼はファンクのマスターだった」と表現。2010年頃から親交が生まれたことを振り返り、「電話で4時間」話す仲になったことや、最後に電話で話したときは「とても陽気」で、「自分が知る中で一番幸せそうな声だった」と綴っている。

ジュニー・モリソンはデイム・ファンクのアルバムに参加していたほか、昨年、全米チャート初登場1位となったソランジュ(Solange)の最新作『A Seat At The Table』にはジュニー・モリソンの“Super Spirit”にインスパイアされて生まれた“Junie”という楽曲が収録されたことも話題になり、後にFADERのインタビューで、ソランジュと面識があること、ソランジュに“Junie”のことを知らされた時はとても驚いたと、喜びを語っていた。また、ジュニー自身は、近年はボーイインシー(BoyInSea)というエレクトロ・ファンク~アンビエント・プロジェクトでも活動しており、2014年に『Copying Atlantis』というアルバムをリリースしているほか、昨年6月には新曲をリリースしたばかりだった。

オハイオ州デイトン出身のウォルター“ジュニー”モリソンは、5歳の頃から教会でピアノを弾くようになり、10代の頃には、キーボードだけでなく、ドラム、ギター、金管楽器など多数の楽器を操ることができたため、オーケストラの指揮や聖歌隊のディレクターなども務めたという。高校を卒業後、オハイオ・プレイヤーズに鍵盤奏者として加入して70年代初めにキャリアをスタートさせ、プロデューサー/アレンジャー/ミュージカル・ディレクターを務めるようになるなど活躍するが、1974年に脱退し、ジュニー名義でソロ・デビューを果たした。もっとも、2015年に〈Red Bull Music Academy〉で行われたインタビューでは、「オハイオ・プレイヤーズを“脱退”したことは一度もない」と本人は語っている。70年代末には、ジョージ・クリントン(George Clinton)率いるパーラメント/ファンカデリックに参加し、“One Nation Under A Groove”、“(Not Just) Knee Deep”などに関わるなど貢献、その功績が認められて1997年にはパーラメント/ファンカデリックの一員としてロックの殿堂入りを果たしている。90年代には、ソウルIIソウル(Soul II Soul)のアルバムのプロデュースに関わったことも話題になった。