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プリンス、亡くなったヴァニティをコンサート中に追悼 「この世で一番美しい女性だった」

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プリンス(Prince)のバックアップでヴァニティ6(Vanity 6)というセクシーな女性グループのリード・シンガーとしてデビュー、“Nasty Girl”をヒットさせたことで知られるヴァニティが現地時間で15日月曜に亡くなったことが明らかになった。57歳だった。

ヴァニティことデニース・マシューズ(Denise Matthews)はカナダ出身で、元々はモデルとして活動していた。低予算映画に出演するなど女優としても少なからず活動していたデニースは、1980年にLAで行われた〈American Music Awards〉でプリンスと出会い、交際するように。その後、プリンスが構想していた、下着姿でセクシーな曲を歌う女性グループのリード・シンガーに据えられ、ヴァニティという名前を与えられた。1982年にはヴァニティ6としてデビュー・アルバム『Vanity 6』を発表、中でもプリンスが変名で手がけた“Nasty Girl”はヒットを記録。またヴァニティは、プリンスの『1999』でバックコーラスとして参加、キャミオ(Cameo)『Alligator Woman』のアートワークを彩るなど活躍した。プリンスの寵愛を受けたヴァニティは、映画『パープル・レイン』では当初プリンスのヒロイン役とされ、彼女の人生を投影したキャラクターとなる予定だったが、彼女はグループを脱退し、プリンスのもとを離れている。その後、1984年にMotown Recordsとソロ契約を結び、2枚のソロ・アルバムを発表。1985年にはMotown創始者ベリー・ゴーディが指揮を執った映画『The Last Dragon』でヒロインも務めた。

1994年にはコカインの過量摂取により腎不全を起こし、危うく命を落としかけたが、奇跡的に助かった。その際の臨死体験がきっかけで熱心なキリスト教徒となり、「ヴァニティ」の名前を封印するように。1997年に腎移植手術を受けているが、病状が悪化していたようで、昨年9月には寄付を募るソーシャル・ファンディング・サービス GoFundMeにて、腎不全患者が行う腹膜透析における重大な合併症、被嚢性腹膜硬化症に罹っていることを明かし、高額な治療費を払う手助けを呼びかけていた。しかし、5万ドルの目標額に対し6599ドル(およそ75万円)しか集まらなかったという。そして米時間で2月15日、カリフォルニア州フリーモントの病院で亡くなったことが明らかになった。

彼女の訃報について、シーラ・E(Sheila E)やクエストラブ(Questlove)、スヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)、ソランジュ・ノウルズ(Solange Knowles)など多くのアーティストが追悼のコメントを発表したが、オーストラリア・ツアー中だったプリンスは、公演中にヴァニティを追悼。〈Piano And A Microphone tour〉と題されるとおり、プリンスのピアノ弾き語りという趣旨のこのツアーにおいて、プリンスは16日のメルボルン公演で、序盤に「ちょっと前に、親しい人が亡くなったことを知った。だからこの曲は彼女に捧げよう」と触れ、“Little Red Corvette”を披露している。他にも、“The Beautiful Ones”を披露する前には、「ひとりでこうやってやるのは慣れないから、みんな辛抱強く聴いてくれてありがとう。でも今はちょっと集中したい。今夜はちょっと僕には辛い夜だから。ジャムを続けよう……彼女はこの曲知っているね」とコメントし、曲中の「I’m begging down on my knees」と歌う歌詞を、「I’m begging Denise, Denise」とヴァニティの本名デニースに替えて歌ったとか。“The Ladder”でも、「Electra」の歌詞を「Vanity」と替えて歌っていたという。

また、通常はそれほどMCをしないプリンスにしては珍しく、「ヴァニティのこと話していいかな? いや、デニースの話をすると言うべきかな。昔、僕らは深く愛し合った。けんかもした。彼女はとても強情な人だった。なぜなら彼女はこの世で一番美しい女性だと自分でも分かっていたからさ」など、度々ヴァニティ/デニースの話をしたようで、「きっとこういう話はするべきじゃないんだろうけど、でも彼女は自分の人生を祝福してもらいたがっているはず。彼女の死を嘆くのではなくて」と伝えたとのこと。