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THE GOSPELLERS x BRIAN MICHAEL COX & J.QUE / ゴスペラーズ新作を手がけたR&Bの名匠たちが語る

ゴスペラーズの代表曲、「永遠(とわ)に」。この曲を生み出したのが、後に、アッシャーの“U Got It Bad”、“Confessions Part II”、“Burn”やメアリー・J.ブライジ“Be Without You”といった大ヒット・シングルを生み出してきた名R&Bプロデューサーのブライアン・マイケル・コックス、そしてビヨンセの“Best Thing I Never Had”やアリアナ・グランデの“Baby I”なども手がけたソングライター&ボーカル・プロデューサーのパトリック“J.キュー”スミスの2名であることは、R&Bファンなら周知の事実だろう。そしてこのふたりが16年の時を経て、ふたたびゴスペラーズとタッグを組んだ。このブライアン&J.キューは、ゴスペラーズがこの10月3日に発売したばかりの最新オリジナル・アルバム『What The World Needs Now』で5曲をプロデュース(ブライアンとJ.キューは個々に1曲ずつも担当)している。このレコーディング・セッションのために今春、ふたりが来日していたところをキャッチ。ゴスペラーズの5人と共に彼らとゴスペラーズとの“繋がり”と最新作について、彼らとゴスペラーズとの“繋がり”と最新作について対談してもらった。そしてさらにブライアン&J.キューのふたりには、今のR&Bシーンに“欠けて”いるもの、日本と韓国の違い、そして彼らがこれまで手がけた楽曲の知られざるエピソードなど大いに語ってもらった。必読の超ロング・インタビュー。

取材/Kana Muramatsu 文責/bmr編集部

ゴスペラーズが目の前で歌い始めた途端、ブライアンと顔を見合わせて「本物だ!」って思った。5人のハーモニーがあまりにも凄くてビックリしたんだ ―― J.キュー

――まずにブライアンとJ.キューの2人に質問です。久しぶりこの場に戻ってこられた気分は?

J.キュー
「みんなにビックリされるけど、俺は東京が世界中でも一番好きな都市なんだ。だから、東京に戻ってこれただけでも最高なのに、この場に……そう、ゴスペラーズのメンバーと一緒にこの場に座っていることは……。

実は数日前にふと思い耽ってしまった瞬間があったんだ。スタジオの中でブライアンが目の前でプロデュースしていて、そのスタジオを見回すとゴスペラーズのメンバーが目に入って。まさにこの6人が音楽で食べていくチャンスを俺に与えてくれたんだよな、って感謝の気持ちでいっぱいになったんだ。この6人が、俺の名前がクレジットされたレコードを俺に与えてくれた。生まれて始めてのシングルで、しかもプラチナレコードを俺に与えてくれた。ゴスペラーズもブライアンも、まだ実績が全くない俺を信頼してチャンスを与えてくれたんだ。

約16年ぶりにこの場に戻って来られただけでなく、今でもお互いにかけがえのない友人であり続けていられて、しかも、全員が今でも音楽を作り続けているこの6人と、再び同じ空気を吸えるこの場に戻って来られたことは最高の幸せだと思っている」

ブライアン
「俺の場合は、本当に久しぶりにゴスペラーズのみんなとは会ったから、今回の久々の再会を心から楽しみにしていたし、『俺たち、本当に成長したなぁ』って思うんだ。最後に面と向かって会ったのは、みんなが(アメリカに)来て、“永遠(とわ)に”をレコーディングしたときだっただろ?(*) ということは、本当にほぼ18年振りの再会で、その当時の自分たちのことを思い出して、ゴスペラーズのグループとしての成長、そしてここにいる全員の成長や活躍、しかも全員が成功していることに対する嬉しさを実感している。

初めて出会ったときにはもうゴスペラーズは日本ですでにスターとして成功していたけれど、この間家を整理してて、ゴスペラーズのゴールドやプラチナディスクが出てきて思い出してたんだよ。当時、郵送されてくるゴールドやプラチナディスクを受け取るたびに、『ゴスペラーズはまたナンバーワンになったんだ』、『またこんなに売ったのか!』って思ってたなぁ……って。そんなみんなとまたコラボレーションできることは本当に嬉しいよ。

東京は、大人になってやっとその素晴らしさを感じられていると思ってる。少し前まで、東京はファッションとアートの世界に多大なる影響を与えているにも関わらず、なかなか世界中にその事実が発信されてなかった。でも、やっと今、東京という都市そのものがファッションとアートに与えた影響力が知られるようになって、今回のコラボもそのひとつを担うことが出来る気がして嬉しく思っている」

*……16年以上前に行われた“DAWN~夜明け~”と“Body Calling”、“誓い”の東京でのレコーディング(いずれも2002年作『FRENZY』収録)にはブライアンだけ参加することが出来なかった

――ゴスペラーズのみなさんは、また彼らとスタジオに入っていかがですか?

北山
「なにしろ僕らとしては、18年前に(コラボが)できたということは、“間に合った”という感じだったんですよ。龍のごとくチャートを駆け上がっていくスーパー・プロデューサーになる直前の、能力はもちろんそのままなんだけど、まだビッグになる前の頃に一緒にできた、という意味で。こういう言い方をしたら嫌がられるかもしれないけど、後に(彼らの成功を見て)、『僕らは“永遠(とわ)に”でのコラボが出来てよかったね。でも、ビッグになりすぎて、2~3年後にまた一緒にやろう、って言いにくくなっちゃってたね』っていうのが僕らとしての本音だったわけですよ。

だから、今回いろんなことが重なって、たまたま流れで、また一緒にやろうよとなったときに、(スーパー・プロデューサーになった2人から)『あぁ、やるやる』ってカジュアルに言われてビックリしたんだよね。それで実際に一緒にスタジオに入って感じたのは、『あっ、“戻る”な』って感覚。お互いに昔にそのまま戻ってビックリしたんだよね。

『なんかこうしてると、スタジオでの振る舞いとか、いわゆるプロデューサーとして名が売れる前の、スタジオに寝泊りして篭りっきりで作業してたときの感じがお互いに出てくるね』ってブライアンとJ.キューが話してたのを聞いたけど、僕らも初めてアトランタに行って、『よろしくお願いします』って仕事始めた途端、『こいつら、すごい』って思ったあの頃にスッと戻れた、みたいな。こういうことってあるんだなって驚いたのもそうだし、もっと言うと、お互いに続けていないと、この感覚って、アップデイトな感覚では出来ないと思ったんだよね。ただ懐かしむのではなくて、さらにもっとワクワクして一緒にいられるから、これはずっと僕らも続けてきたご褒美をもらったような気になったんだよね。この感じで出来るんだったら、もっと早くやっておけばよかったな、っていうのは本音です(笑)」

J.キュー
「もっと早く声かけてくれればよかったのに!!(笑)」

ブライアン
「本当だよ! 実はそれこそ、最後にコラボした3~4年後に、音楽出版の担当者に言われたんだ。『またゴスペラーズとやるべきじゃないか? なんでやらないの?』ってね。正直何も答えられなかった。自分の中でも『どうしてだ?』って素直に思っちゃったから」

J.キュー
「俺も全く同じこと思ってたんだ。『俺たち一緒にいいもの作れたし、相性もよかったよな。どうしてだ?』って(笑)。本当にどうしてそういうことになったか全くわからない。意図的でもないし」

――お互いになんとなく連絡するのを躊躇してしまった、ってだけですね。

J.キュー
「そうだね」

ブライアン
「僕らを結び付けてくれた仲介人の連絡先を無くしてしまった、ってこともあるね。当時は今のように気軽に連絡し合えたり、相手の連絡先をすぐに探せるツールがまだ無かった時代だった、ということも大きな原因だと思う」

――でも、久々なのにまるで昔と変わらないように一緒にスタジオに入れたという感覚がある、と北山さんが仰ってましたね。

J.キュー
「まさにその通り。

これは彼らに話したことないエピソードだと思うんだけど。初めてゴスペラーズの名前を聞いた時の話。ブライアンに『あるグループの曲を手がけるんだけど、手伝ってくれないか?』って言われた時、『なんていうグループ?』って訊いたら、『ゴスペラーズだ』って言われて、『あぁ、ゴスペルを作るのか』って思ったんだよね(爆笑)。ブライアンは『違う、違う。日本のグループなんだ』って。それでもさらに『なんだ、日本のゴスペル・ミュージックを作るのか』って訊いたぐらい(笑)。それに対してブライアンから『だから違うって。日本のグループだよ!』って言われたんだけど。

当時、俺は本当に金がなくてね。話にならないくらい、一銭もない状態だった。だから正直言って、相手が誰であろうと仕事をいただけるってだけで、『ありがとう! 必ず行くよ! ケータリングもあるよね?』って(笑)。それでスタジオに入って、ゴスペラーズが目の前で歌い始めた途端、ブライアンと顔を見合わせて『本物だ!』って思ったんだ。5人のハーモニーがあまりにも凄くてビックリしたんだ。アメリカではもちろん歌がうまい人たちはたくさんいるし、それで成功する人もたくさんいる。でも、ほとんどの人たちがその才能を熟練させられないし、すべきだとわかっていてもやらない人がほとんどなんだ。それが彼らはこれだけのスキルを完璧にマスターしてる、ってことにまず驚いた。

それに、俺にとっては全く初めてのちゃんとした仕事であり、しかもインターナショナル・レベルの仕事だったわけだけど、それを通して実感したのは、“音楽はどこでも同じ。音楽である”ということ。当時ゴスペラーズは、5枚アルバム出した後ぐらいだった? だから6枚目の制作をするベテラン。俺はビクビク不安でいっぱいだったわけだよ。みんなはすでにビックスターだったわけだから。北山さんはめちゃくちゃクールで、村上さんは背が高くて、いつもグラサンしてて腕組んでジーッと見てる感じとかすごい迫力だったし(笑)。全員がものすごくカッコよくて、しかも温かく俺を迎えてくれた。他人じゃないって感覚で接してくれたことは本当に嬉しかったよね」

――当時、ここにいるメンバーで一緒に作った“夢の外”、“永遠(とわ)に”、 “DAWN〜夜明け〜”、そしてJ.キューはテディ・ビショップと一緒に“Body Calling”を作りました。これらを改めて聴いてみて感じること、あの当時の制作でこれを学んだな、と今だから感じることはありますか? また、なぜ、どの曲も素晴らしく輝いてヒットしたと思いますか?

J.キュー
「あの当時のセッションで一番覚えてるのは、楽しかった、ということ。そして、“(制作中の)部屋の中のエネルギーが、そのまま楽曲のエネルギーになる”ってことを、彼らとのセッションで学んだ。あの場にいたみんながエネルギッシュでハッピーだった。そして今でも不思議なのは、ディレクターが20年経っても全く変わらない、若いままなのはなぜなのか?ってこと(爆笑)」

ブライアン
「LAでソングライティングしてたとき話してたよな、『ディレクターさんは昔と全く同じだ』って」

J.キュー
「とにかく、本当に楽しかった。そして学んだんだよ。プロフェッショナルで、有名で、重要な立場に立つ人であっても、そうでない人たちに対しても同じように優しく接することが出来るんだってことも。今、あの当時の曲を聴いても、楽しい思い出しか浮かばない。イントロでの自分の声はあまりに酷くてウンザリするけど(笑)。当時はカッコいいと思ってたんだよ! 『キメた!』って思ったのに、全くキマってなかった(笑)」

安岡
「僕たちはすごく好きだよ」

ブライアン
「俺にとっては重要な記録だ。クリエイターとして歩んできて、初期の頃の大事なコラボレーションであり、作品だから。

20年以上クリエイターとして楽曲を制作してきて、やっぱり初期のプロデュース曲は全て聴き返すと、『あぁ、あそこはこうしておけばよかった』とか『ここが気に入らない』とか、完璧主義者的な発想で聴いてしまうんだよね。本当に気に入っていたニヴェアの“Don’t Mess With My Man”はいまだに聴いてもやっぱり大好きだと自分で思うけど、当時はどうしてもそれに似た曲を作ったりしてたな、って思うんだ。だから今聴くと『あそこのスネアは……』ってなる(笑)。でもそれが成長の糧になり、証になる。

そうやって成長してきたからこそ、18年後、ここにこうしてみんなとまたやることが出来るし、俺たちみんなが、“あの人はいま”にならずにいられてる(笑)。道でバッタリ会って、『あの曲一緒に作ったの覚えてるか? デスチャの!』なんて話さずに済んでる」

J.キュー
「一番最初にレコーディングしたときのこと思い出した! Noontimeでレコーディングした時。ブースでボーカルを録ってた時、『それを“ダブル”して(*)』って俺が言ったら、みんなが『え?』ってなったんだよね。覚えてる? ボーカルを録るって言うと、みんな全員が同時にブースに入ろうとしてたよね。でも俺が、1人ずつ(の録音)で、って頼み込んだんだ」

*……同じメロディを重ねて歌うこと。ダブリング。

ブライアン
「覚えてる、覚えてる!」

J.キュー
「で、その後で、『“トリプル”して』、つまり3声目を録らせて、って言ったら、セッションが止まっちゃったよね。ディレクターさんとみんなが集まって話し始めて、戻ってきたら『それはどうなの?』って言われたんだよ。レコーディング方法が日本と全く違ったんだよね。あの時は、『お願い、お願いだから俺を信じて! これが俺にとって最初で最後のチャンスかもしれないんだ! 後悔させないから、お願い!』って(笑)」

ブライアン
「そんなこともあったなぁ(笑)」

黒沢
「“夢の外”は、最初にプリプロ(プリプロダクション)やったんだっけ?」

安岡
「そう、あれが最初の曲」

村上
「99年の秋に一回(アトランタに)行ったんだよ」

黒沢
「そのとき2人に指導してもらいながらやったわけだけど。それまでの我々は、どうやったら黒人みたいな声で録れるのか?って自分たちなりに研究してたんだよね。マイクが違うのか?とかね。で、さっきの話の、重ねたボーカルを録ったときに、『あっ!この音になった!!』っていう僕らの衝撃たるや! 『こうしてたんだ!』っていう、あの(発見の)喜びは説明できないぐらいの衝撃でしたね」

J.キュー
「あの時みんなに舞い降りた幸運は、俺(たち)が黒人だったってことさ!(笑)」

黒沢
「それにね、やっぱり何と言っても緊張してたんだよね。仮でパッと歌っただけでもめちゃくちゃうまい人たちの前で、できるかな?って思いながら一生懸命やったんだけど、2人が『君たちのサウンドはとてもユニークでいいね』って言ってくれたことで、それまで(自分たちで)ずっと試行錯誤してきた5年、6年がすごく報われた気がしたんですよね。

日本でずっと、自分のイマジネーションの中で『ブラック・ミュージックとは?』とか『R&Bとは?』みたいなことをずっと考えながら、これ日本でやって大丈夫かな?とか色々なことを考えながらやってきたのが、本当にその時の2人のひと言で、我々としては 『あっ! 俺たち(このまま)頑張っていいんじゃん』って。『もっと頑張ろう』って思えたってのはすごく大きい瞬間でしたね」

ブライアン
「そう言われて逆に感激するよ。だって、ゴスペラーズが俺たちの目の前に現れて、彼らの歌を聴いて、こっちのほうが『なんて素晴らしいんだ』って感動して、これは一緒にすごいのが作れそうだな、って確信したわけだから」

北山
「それと、ブライアンとJ.キューの2人共、スタジオに入ったときの楽曲に対する集中の凄さがハンパないんですよ。僕たちも夜中までやったりしてたんだけど、『これから音を聴くんだよ、俺は』ってなった時、周りのドアがパタパタパタっと全部閉められていくかのように、スッと音楽の中に篭っていく、その集中力の高さ。

そうかと思えば、さっき僕たちが温かく迎えてくれたって言ってくれたけど、彼らも僕たちを温かく迎えて接してくれたから、僕らも過度に緊張しなくてすんだし。音に向かっていく貪欲と言ってもいいくらいの姿勢ってのが、こんだけ才能があっても、やっぱり音楽を本当に愛してるからこんだけ出来るのかな、って思えるフィーリング。なんて言ったらいいかな、“達人”に触れた感じってのはありましたね」(⇒ P2へ)