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いま、ジェイムズ・ブラウンを読むということ Part 5 / アラン・リーズ interview (4)

ジェイムズ・ブラウンは、ブラック・ミュージック・ヒストリーにおける最大の偉人の一人である。リズム&ブルースからソウルへ移行する時代の原動力となり、その後はファンクというジャンルまで築き上げた男なのだから。そんなレジェンド、JBの半世紀にわたる軌跡を、「それぞれの時代でどう語られ、どう評価されてきたか」をポイントに集大成したのが書籍『JB論 ジェイムズ・ブラウン闘論集 1959-2007』だ。そのJBの命日にあたる12月25日からスタートしたこのインタビュー・シリーズ「いま、ジェイムズ・ブラウンを読むということ」は、同書の編者二人(ネルソン・ジョージとアラン・リーズ)に、彼ら自身のJB論やJB観を語ってもらおう、という試み。最終回となるこのパートも、ブラック・ミュージックへの愛と情熱に満ちたアラン・リーズの語りが続く。JBとプリンスとディアンジェロ、3人のレジェンドと密接に関わってきた彼の目に映る、ソウル/ファンク/R&Bの行方は……。

取材・文/押野素子 Interview by Motoko Oshino Matthews

>> Part 1:『リズム&ブルースの死』等の著者で知られる名ジャーナリスト、ネルソン・ジョージのインタビューはこちら
>> Part 2:アラン・リーズ(1):『JB論』が生まれた経緯、ジェイムズ・ブラウンとの出会いを語るインタビューはこちら
>> Part 3:アラン・リーズ(2):JBのツアー・マネージャーに採用された経緯、JBの素顔について語るインタビューはこちら
>> Part 4:アラン・リーズ(3):JBの後にマネージャーに就いたプリンス、ディアンジェロらについて語るインタビューはこちら

ジェイムズ・ブラウンはステージを“仕事”と考えていた。一方、プリンスにとっては“使命”のようなものだ

——ジェイムズ・ブラウン(James Brown)、プリンス(Prince)、ディアンジェロ(D’Angelo)の労働倫理について、それぞれの違いをコメントしてくれますか?

「違い……そうだなあ、何て言えばいいかな……3人とも、音楽だけじゃなく、文化的にも異なった世代で活躍している。仕事上のカルチャーも、それぞれの世代で大きく変わっているしね。

まず、ジェイムズ・ブラウンは、パフォーマンスを“仕事”と考えていた。インタヴューの中でも、そうコメントしている。私がやったインタヴューでも、『俺たちは精一杯働くから、誰もが俺たちのショウを愛している』、『俺たちは観客のために懸命に働く』、『俺たちは良い仕事をしている』と、ショウを“仕事”とみなした発言をしていた。これは彼の仕事であり、職業だった。ビジネス・エグゼクティヴや郵便係といった仕事と同じことでね。『職業は何ですか?』と尋ねられたら、『私は劇場に行ってパフォーマンスをし、金を稼いで家に帰ります』という答えが返ってくるだろう。

もちろん、アーティスティックな見地から考えると、彼は影響力の大きいアーティストで、素晴らしい音楽を作った。キャリアの中で、ブラック・ミュージックを変えたのは一度だけじゃないからな。それでも、こうした変化はある意味偶然のようなものだった。彼には才能があったが、変革は自然と起こってしまったという感じでね。彼は、何か重要なことをやってやろうとスタジオ入りしていたわけではない。

なぜなら、ブラック・ミュージックは当時、メディアから評価されていなかったからだ。ジェイムズの起こした大変革について、記事を書いている者などほとんどいなかった。70年代後半から80年代前半になって、ようやく音楽学者もジェイムズを評価しはじめた。それ以前は、『ああ、あれはブラック・ピープルのダンス・ミュージックだ。重要ではない』なんて、彼の音楽は陳腐なものだと考えられていた。彼は、受けるべき敬意を与えられていなかったのさ。

しかし、プリンスがデビューする頃には、ブラック・ミュージックやロック・ミュージックに対するシリアスなジャーナリズムが存在した。だから、プリンスは、音楽がより真剣に受けとめられる環境で育った。だからこそ、彼は“アーティスト”としての野望を持ち、音楽活動を開始したんだ。彼は、パフォーマンスを“仕事”と考えたことなどなかった。弟(エリック・リーズ Eric Leeds)は一度、『さあ、仕事に行こう』と言ったら、プリンスに『仕事(work)と言うな。これは恵み(blessing)だ。これは使命(calling)なんだ。仕事(job)とは呼ぶな』と注意されたそうだ。ステージでパフォーマンスするという、ブラウンと同じことをやってるのに、全く違った考えだろう。

要するに、ディアンジェロを含め、3人がやっていることは同じだ。会場に行き、ステージ衣装に着替えて、ステージに上がって歌い、楽器を弾き、パフォーマンスする。ショウが終わったら、楽屋に行き、普段着に着替え、ギャラをもらう。やり方は違えど、3人ともやっていることは同じだ。しかし、ジェイムズにとって、パフォーマンスとは“仕事”だった。プリンスにとっては、“使命”のようなものだ。そしてD(ディアンジェロ)にとって、パフォーマンスは“死ぬほど恐ろしいもの”なのさ。

彼はステージ恐怖症なんだ。そして、色々書かれてきたような様々な問題を抱えている。彼が苦しんでいる問題の多くは、自分がプリンスのように考えられているという事実も関わっている。それが彼を恐怖に陥れるんだ。彼は、ロックスターが観客に与える影響力が怖いとよく話している。スピリチュアルな点で、それは非常に恐ろしいことだと感じているようなんだ。

つまり3人は、同じ仕事をしているのに、それに対する考えが全く違う。これは非常に面白いことだと思う(笑)。でも結局のところ、同じことをやっているんだけどな(笑)」

——この3人、バンドリーダーとしてはどうでしょう?

「まずはジェイムズ・ブラウン。彼は、『ファンク・バンドをいかに統率するか』という土台を定義したと思う。彼が若い頃は、ヴィデオや映画、TVのクリップやYouTubeといったテクノロジーの恩恵など受けられなかったから、とにかく自分でやってみるしかなかった。その結果、彼は自ら何かを作り出した。プリンスやディアンジェロが登場した頃には、既に(ブラック・ミュージックの)ジャンルは確立されていたから、あとは先達がやったことを見習いながら、いかにそれを自分のものにしていくかが重要になった。


James Brown & The Famous Flames – Out Of Sight (on the T.A.M.I. Show, 1964)

でもここでも、3人とも基本的には同じことをやっているのさ。ファンク・バンドのリーダーがやることって、そんなに多くはないからな。彼らがバンドにもたらす個性や声、ギターやキーボード、ダンスといったところで、それぞれに違いが生じるんだ。それでも、ジェイムズ・ブラウンが最初に登場していなければ、後続のパフォーマーのキャリアも変わっていただろう。これは事実だ。そして、ディアンジェロが子供の頃にプリンスのライヴを見たり、コンサート・ヴィデオの研究をしていなければ、彼も今のようなアーティストにはなっていないかもしれない。つまり皆、次の世代にバトンを渡しているんだ。私が思うに、ディアンジェロは最後のソウル・マンだ。バトンを持っているのは彼だが、それを誰に渡すかを見極めなければならない」 (→ P2に続く)