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FEATURE

AZIATIX interviw 流麗なヴォーカルと骨太なラップが、ボーダーを飛び越える。

気鋭の韓国R&Bシンガー・ソングライター。US地下シーンで気を吐くラッパー。中華圏の人気ヴォーカリスト。ソロで活動していた3人のアジア系アメリカ人が結成したグループがAZIATIXだ。デビュー作『Nocturnal』が日本盤リリースされたばかりの彼ら、初のbmr.jpインタヴュー。

(取材・文/ 丸屋九兵衛、写真/ 大水次郎)

僕たちのルーツはアジア。それぞれ違う土地で育ったし、
活動場所もバラバラだったけど、
AZIATIXという言葉が僕らを象徴していると思った

--全員がABK(American-Born Korean)ですか?

ニッキー(以下N)「全員ではないんたけど、ほぼそうだと言っていいだろうね。エディ・シンはボストン生まれ、フロウシックはニューヨーク生まれ。僕が生まれたのは韓国だけど、すぐにLAに引っ越して西海岸育ち」

--AZIATIXという名前の意味・コンセプトは?

N「僕らのプロデューサー、ジェイ・チョンがアジア各国を中心にソングライトやプロデュースで活動しているうちに考えついた造語だ。1年前にグループを始めた時、僕らにすごくフィットする名前だから採用した。僕たちのルーツはアジア。それぞれ違う土地で育ったし、これまでは活動場所もバラバラだったけど、こうやってグループになってみるとAZIATIXという言葉が僕らを象徴していてピッタリだと思ったんだ」

--結成までの経緯は?

N「場所は韓国のソウル。全てはそこで起こった。当時、僕はジェイ・チョンと一緒にソウルのスタジオで、5枚目の北京語ソロ・アルバムを作ってた。そんなある日、ジェイ・チョンが“フロウシックというすごいラッパーがいる。彼に会うべきだ。一緒に曲作ったら?”と言う。こうして僕はまずフロウシックに出会った」

エディ(以下E)「一方、ぼくとフロウシックはバスケットボール仲間で、当時、週に一度は一緒にプレイする仲だった。でも、彼はラッパーでぼくはシンガー・ソングライターだから、一緒に曲を作りたいな、となるのは自然なことだよね。その頃、ニッキーとフロウシックは”Whatchu Know About Us”を作っていた。そしてぼくとフロウシックは”Another Day”を作った。その後、ジェイ・チョンに”君とニッキーの声は相性がいい、互いにすごくフィットするよ”と言われて、3人で”Go”を作った。こうしてグループ結成に向けて一歩一歩進んでいったんだ」

--話は遡りますが、そうやってグループとして集結するまでに、それぞれソロ・キャリアがありますよね。

E「ぼくはボストン生まれで、初めて韓国でソロ作を出したのは2005年。その後、ニューヨークに行って、NYUで音楽を学んだ。自問するようになったのはその頃。“ぼくはソングライター? それともシンガー?”って。それからフロウシックと出会ったんだ」

フロウシック(以下F)「俺はニューヨーク生まれ、ニューヨーク育ち。25歳までずっとアメリカにいて、主にアンダーグラウンドなヒップホップ・シーンで活動してた。アイス・Tと共演したこともある。韓国に行ったのはJYJの曲に参加するため。そこでニッキーやエディと出会ったんだ」

--ニッキーのキャリアは特にユニークですよね。韓国系アメリカ人シンガーなのに台湾で活躍って。これはどういう経緯で?

N「運命というしかないね。LAの教会で歌っていた僕を発掘してくれたのはジェイ・チョンだ。それから韓国のグループのメンバーとしてデビューしたのが90年代末だけど、アルバムを1枚出して解散。でも、それからもジェイ・チョンは僕を支えて、曲作りや音作りについていろいろ教えてくれた。2003年かな、ジェイ・チョンは台湾系アメリカ人のジェフリー・ホアンと共にMachiという会社/レーベル/グループを台湾で設立して、僕もそのグループのメンバーとして再出発したんだ。台湾に行った当初は、なかなかアーティスト契約できなかったけど、ジェフリー・ホアンはチャンスをくれた。ソロ作もヒットしたし、本当に感謝してる。今でも台湾時代の仲間とは連絡をとってるよ」