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FEATURE

狐火 interview 「311からの言葉」pt.1

2011年3月11日、現代日本を根幹から揺るがしたあの震災。早くも1年が過ぎようとしている現在も、その「揺れ」は当然ながら日本の音楽をも揺るがして続けている。311への反応を形にし続ける、アーティストたち。それぞれの言葉をシリーズでお届けする。

interview: 塚田桂子, photo: 大水次郎

あの震災直後の4月1日、東京周辺の住民が福島からの風向きに敏感になり始めた頃。この「PRAY FOR JAPAN Pt. 5 福島からの風向き」をYouTubeで初めて聴いた筆者は、心に突き刺さるような真っ直ぐさと、圧倒的なリアリティの力強さに、思わず号泣してしまったことを思い出す。

渋谷で待ち合わせた狐火は、少しはにかみながらも、芯の強さが伝わってくる青年だ。福島に生まれ育ったラップ歴10年の彼は、大学のサークルの先輩がラップする姿に感化され、ずっと興味のあったラップを始めることになる。そもそもこのユニークなMCネームの由来とは?

「僕、実家が福島県中通りという、栃木と茨城の県境のすごい山奥の町なんです。中学3年生の冬に受験勉強をしていると、夜中に裏山が燃えてたんで、すぐに両親を起こして消防車を呼んだんですけど、消防車のヘッドライトが山を照らした時に、その炎がひゅって消えたんです。次の日現場検証しても、焼け跡もなくて。で、受験勉強に疲れた中学生がノイローゼになって、火が見えたんじゃないかってことになったんです(笑)。ただ、母親も一緒に見てたんです。

そん時におばあちゃんが教えてくれたんです。裏山には昔から狐がたくさん住んでいて、その狐が乾燥した冬に50匹くらい集まると、尻尾と背中の毛の摩擦で静電気が発光するから、それを昔の人は狐火と呼んでいた。山が光るんでそこに家があるのではと思われてたんですけど、その近所の人たちが遭難してしまったりして、狐火という悪い化け物に化かされたと騒いでいた。実際は静電気が光っているだけなのに、人間の悪い想像でそんな妖怪が誕生したんじゃないかと。その話にすごく納得して、感銘を受けたというか。実際に見えているものと、本当の姿は違うという、そういったニュアンスで、狐火という名前にしたんです」

ドラゴン・アッシュやTHA BLUE HERBに影響を受けたという狐火は、ストーリーを語るスポークンワード・アーティストの要素が特徴だ。このスタイルはどのように生まれたのだろうか。

「ラップを始めた頃は韻を踏んでたんです。先輩もたくさん韻を踏んだり、逆に韻を踏まないと怒られるし、ダサイって言われちゃうんで。08年に東北の5人グループで活動してまして、その内3人で東京に来たんですね。でもずっと何も結果が出なかったので、グループを解散して。自分ひとりになった時に、僕も実家に帰ろうかなと思ったんです。」

「PRAY FOR JAPAN Pt. 5 福島からの風向き」

でもそうすると、東京では何も伝えられないまま帰ることになるなって思った時に、今までのスタイルを全部崩して、言いたいことだけを簡潔に述べる、例えばライブのトークとか、ライブ前に曲の紹介をするような感覚でラップを作ってから辞めても遅くないと思って、そういうスタンスになったのがきっかけです」
去年の震災後、3ヶ月に渡って録音した「PRAY FOR JAPAN」シリーズ(その後『PRAY FOR FINAL』としてリリース)に代表されるような、ふるさと福島に向けたトラックで、初めて狐火のラップを耳にした方も多いのではないだろうか。このシリーズが誕生した背景をたずねてみた。
「地震が起きた3月11日に、僕はたまたま仕事がお休みで自宅で寝てたんですけど、すごく揺れて起きて。絶対に震源地は東京だと思ったんですけど、携帯を見た時に東北地方が震度6を超えてたんでびっくりして。そん時母親に電話したら1回だけ繋がったんですけど、避難してる途中で、慌ててる声しか聴こえない状態で切れてしまって……そこから3日間まったく連絡が取れなかったんすよ、実家と。で、そのうち原発が爆発したり、3日間でいろんことが起きて。3日目ですかね、苦しくて、もう、どうしよう、どうしよう、ってなってた時に、『PRAY FOR JAPAN』の1曲目、『被災地のあなたへ』を作ったんです。電話で話したい内容をラップにして発信することによって、気持ちが楽になる部分があったと思うんです。
そこからいろんな反響がありまして、あれ作った次の日くらいに家族とも連絡が取れて、一応元気だという確認が取れまして。続編を作る気は全然なかったんです。でも、あの時すごくいろいろな情報が流れていて、家族や友達は必死に生活していて。僕、宮城の仙台市に仕事で1年、大学の4年間は福島のいわき市に住んでいたので、そっちにも知り合いや友達がたくさんいて、連絡取れた人もいたんですけど、取れなかった人もいて。逆に連絡取れない人には、連絡するのが怖いというか……もしかしたら、なにかあったんじゃないかって思って。
そういう気持ちがあって、パート2、パート3の曲の中で、自分のそういうもどかしさを現したり。あの時期は、寝ても覚めてもそういうリリックが湧いてくるっていうか、書きたい内容が山ほどありすぎて、ひとりでそれを支えられない、心の中に留めておけない感じで。あとは、インターネットで発表することによって、僕がラップやってることを知ってる東北の友達にも、どこかで聴いてもらえたらいいなと思って作り続けたんです」

あの時期は、寝ても覚めてもそういうリリックが湧いてくるっていうか、
書きたい内容が山ほどありすぎて……

3作目『27才のリアル』、最新作『PRAY FOR FINAL』の中から、特に思い入れの強い曲を、それぞれ2曲ずつ狐火に紹介してもらった。
「3作目のタイトル曲『27才のリアル』に関しては、実際27歳の時に面接をたくさん受けたんです。で、正社員になりながらラップをしようってそん時思ったんですね。やっぱ、正社員だと実家の母親も安心するんで。でも、まったく受からなくて(笑)。今の世の中、27なのに資格もないと仕事も見つからないんだなっていうのを、そのとき初めて気付いたんですよ。そこまで就職活動したのって大学4年の時以来で、やる気だけでは全然面接に受からないっていうもどかしさを、自分を励ますために歌いました。で、その曲のMP3のデータを、僕を不採用にした面接官のメールアドレスに送りました(笑)。反応はなかったです(笑)。もう、完全な自己満足(笑)。それが結果としてサード・アルバムになったんで、まぁ、不採用になってよかったなと。
『最後の曲だとしても』は、去年の1月に作った曲なんです。大体、年末年始は毎年実家に帰るんですけど、その時ちょうど、うちのおじいちゃんが癌で余命が2年くらいと言われて、自分史みたい立派な本を、80万円くらい払って作ったんです。遠足のしおりくらいの厚さしかない冊子なんですけど。それを親戚中に配る姿を見た時に、あと何年で死ぬってなった時に、やっぱり自分のことを知ってもらいたくなるっていうか、じゃあ、自分だったらどうなのかなって思って」
「もしこの冬に死ぬとしたら、多分、来年の春のことを思い描くなって思ったんで、そういう内容を曲にしたんです。
『Pray For Final』からは、『被災地のあなたへ』ですね。今でもこの曲を聴くと、3月16日の計画停電に、部屋を真っ暗にして、パソコンだけつけて、マイクもすごく近づけてささやくような感じで、確か夜中に録ったと思うんですけど、その時のことをすごく思い出すんです。で、『Day Drama』という曲は、これから人と付き合うにしても、履歴書にしても、例えば引っ越先の大家さんの審査に落ちた時に、相手はそう思ってなくても、自分の本籍が福島だから落ちたんじゃないかって勝手に思ってしまったり、子供を産むのが怖くなったり。それを“精神被爆”という言葉で表現してるんですけど。そういった気持ちを和らげるというか、五体満足より、生まれてきてくれたことが満足であるようにっていう、そういった気持ちを歌ったんです」
最後に今後の活動予定を訊ねると、少し照れながらも、その揺らぎない野望を語ってくれた。
「去年全然ダメだったんですけど(笑)、富士ロックフェスティバルかサマーソニックに出たいなと思います」