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JAMILA WOODS / 初来日のジャミーラ・ウッズが語る、アーティストとしての姿勢とシカゴ・シーン

チャンス・ザ・ラッパーのサマソニでの初来日も決定し、昨年はノーネームがやはりソールドアウトした初来日ステージで沸かせた……と、シカゴの新しい風が日本にも届き始めた絶好のタイミングで、ジャミーラ・ウッズが来日。今年1月23日(火)の1日かぎりとなったが、貴重な初来日公演を行った。その公演前日に行った対面インタビューをお届けしたい。昨年には商業リリースもされた『HEAVN』から、アーティストとしての真摯な姿勢、シカゴのコミュニティやシーンの変化について、チャーミングな笑顔を浮かべながら語ってくれた。

取材・文/末崎裕之 hiroyukisuezaki (bmr)

初来日公演の前日。その日は東京に大雪警報が出たあの日だった。日本への到着自体はさらにその前日だったため、つつがなく来日できた模様。真夏のオーストラリア(で公演をやってきた)から、久々に積雪した冬の東京へ。体調をちょっと心配したが、シカゴアンのジャミーラは、「大丈夫、シカゴは0度以下だからまだ暖かいほうよ(笑)」と元気な笑顔で返した。

「高校生の時にシカゴ・チルドレンズ・クワイアの一員として来日したことがあって、日本の合唱団と共演したの。その時は名古屋だったから、東京は初めて」と話す彼女。初インタビューということでまず彼女のキャリアを追っていく。

子供の頃は、両親が聴いていた音楽をよく聞いてた。スティーヴィー・ワンダー、ホイットニー・ヒューストン、セリーヌ・ディオン……声量のある人たち(笑)。それから高校ではオルタナティブ・ロックにハマって。通ってた学校でみんなが聞いてたから。インキュバス、ニルヴァーナみたいなバンドを聞いてた

インキュバスは、昨年、商業リリースされたデビュー・アルバム『HEAVN』に収録された“Stellar”の中で同名曲からフレーズを拝借していることはご存知だろう。そして来日公演では、ニルヴァーナの“Smells Like A Teen Spirit”のカバー(エリカ・バドゥ版“Hello”も挿まれた)が飛び出し、彼女自身のバージョンとした“Sunday Candy”もオルタナティブ・ロック感のあるアレンジ。ちなみに“In My Name”では、デスティニーズ・チャイルド“Say My Name”とのマッシュアップで披露されたことも印象的だった。

それからエリカ・バドゥ。彼女は音楽だけじゃなく人柄も好き。ローリン・ヒルも。あとはカニエ・ウェストだとかヒップホップもたくさん。特にシカゴの人たちは聞いた

ここで、よく名前の挙がるエリカ・バドゥとの比較についてどう思っているか、訊ねてみる。

もちろん名誉なことだと思ってる。でも、中には“ニュー・エリカ・バドゥ”だとか言う人がいて、そういうのは嬉しくないかな。エリカ・バドゥはまだ現役だから

エリカとは、まだ会ったことはないそうだ。彼女が翌日に行うビルボードライブ東京では昨年、エリカ・バドゥがショウをやったという話を振ると、「見た見た。YouTubeで見た(笑)」とすでにチェック済み。大ファンであることが窺える。

M&Oが終わってから、「音楽は作り続けたいけど、どうやっていいか分からない」という時期があった

ジャミーラ・ウッズは、大学で知り合ったオーウェン・ヒル(Owen Hill)と共に、マイロ&オーティス(Milo & Otis)というデュオを結成し、2012年にデビュー・アルバム『The Joy』を発表。Okayplayerなどから称賛を得るなど評価された。マイロ&オーティスは、「オーウェンのニックネームがオーティスだったから、じゃあ私はマイロって感じで」付けられたグループ名。畑正憲が監督・脚本を手がけた80年代の映画『子猫物語』の英題『The Adventure of Milo and Otis』に引っ掛けたものだ(※当初、ジャミーラに掛けてミロと読ませるものだと思っていたが、普通にマイロと読むとのこと)。

大学を卒業した後にシカゴに戻って、劇場で働いたり、ポエトリーを教えたりしていて、その頃に友人のオーウェン(・ヒル)がシカゴに引っ越してきて、仕事の後にスタジオに入って制作とかをしていたけど、実はその頃はまだ真剣に音楽をやろうって感じではなくて。趣味みたいな感じだった

こうして生まれた『The Joy』には、すでにチャンス・ザ・ラッパー(Chance the Rapper)や、ダニー・トランペット(Donnie Trumpet)ことニコ・シーガル(Nico Segal)も参加していた。

私がポエトリーを教えているヤング・シカゴ・オーサーズ(Young Chicago Authors)という団体が、オープンマイクだったりポエトリーのイベントをやっていて、チャンスとはそこで知り合ったの。2011年とか2012年頃、シカゴに戻って来てからね

マイロ&オーティスは、「同じ名前のバンドがいて、向こうの弁護士から変えるように言われた(笑)」ためにM&Oに名を改め、2014年にセカンド・アルバム『Almost Us』やアウトキャスト“Hey Ya”のカバーなどを発表(ちなみに彼女に『Almost Us』のCDを持っていくと、驚きながら写真まで撮るなど喜んでくれた。曰く、「CDで持ってる人は100人くらいじゃないかな」)。

だが、M&Oは2015年の春頃には活動を中止してしまう。それは、相棒のオーティスことオーウェン・ヒルがシカゴを離れてしまったためだった。

M&Oは、オーティスがLAに引っ越したから続けられなくて。彼は向こうで自分の音楽をやっているの。今でも友人。

彼がLAに移ってからは私にとって辛い時期だった。彼はプロデューサーで、私はそれにかなり頼っていたから。『音楽は作り続けたいけど、どうやっていいか分からない』って感じの時期がしばらくあったの。それで色んなプロデューサーと会ってみたり、音楽を作っている知り合いに相談したり……でもそうやって悩んで結果的によかったと思ってる。おかげで、自分で書いた曲、自分の言葉だけで書いたものを音楽に変換していけばいいんだって気づけたから。

でも、そういう自由があるぶんだけ、安全圏から出ていく恐怖もあったけど」(⇒ P2「“LSD”でサンプリングしたあのドネル・ジョーンズの曲は、実は私が嫌いな曲だったの(笑)」に続く)