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映画『MILES AHEAD』special / 「この作品が特別なのは“伝記映画ではない”という点だ」

2016年暮れに日本公開された『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』は、名優ドン・チードルが監督・主演で臨んだ力作だ。この映画が、ついに日本でBlu-ray/DVD化された。マイルスの甥であるプロデューサー、ヴィンセント・ウィルバーン・ジュニアの発言も交えながら、この「伝記映画ではない伝記映画」を読み解いてみよう。

文/bmr編集部 通訳/湯山恵子

マイルス・デイヴィスを演じられるのはドン・チードルしかいない

 マイルス・ディヴィス(1926~1991)は「ジャズの帝王」と呼ばれたトランペッターであり、おそらくジャズ史上最も有名なアーティストだ。
 だが、そうした称号だけで彼をわかった気になってはいけない。なぜならマイルスは、60年代末からスライ&ザ・ファミリー・ストーンらと歩調を合わせるように、濃密でパーカッシヴな超絶ファンク作品を連発した急進的ファンカーでもあったからだ。
 75年に突然引退するも、81年に復活。それからも現在進行形のシーンに敏感であり続けたマイルスは、80年代ファンクやヒップホップとのクロスオーバー路線にも挑んだ。「プリンスはセックスの時にドラムを聴いているに違いない」といった名言(?)で、後輩たちの才能を讃えてきた人物でもある。
 ジャズというカテゴリーに安住せず――それどころかジャズという呼称を嫌い――言うだけなら容易い「変わりゆく同じもの」以上の変身を見せ続けたマイルスは、ブラック・ミュージックの本質を体現する存在だったと言えるのではないか。

 この度、日本盤Blu-ray/DVDがリリースされた『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』は、その邦題が示す通り、引退を決め込んでいた時期を題材として、「人間 マイルス」を描いた映画だ。
 時は1970年代末。ニューヨークの自宅に引きこもったマイルスは、気怠い日々を過ごしていた。だが、そこに音楽誌記者デイヴィッドが押しかけ「カムバックに関して取材させてほしい」と言い出したことで、マイルスの日常に転機が訪れる。コロンビア・レコーズに押しかけた上に、「失われたマスターテープ」を巡るカーチェイスまで勃発。そんな予期せぬ冒険の間、マイルスは妻と過ごした日々を思い出す……。
 そんな騒動を経て、再びマイルスを救ったのは、やはり音楽だった。マスターテープを取り戻したマイルスは、心機一転して歩み出す。オーディエンスが待つステージへと。
 評論家筋から絶賛され、低予算作品ながら劇場での興行成績もかなりの健闘(ここ日本でも!)を見せた『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』。そんな本作について、いろいろ教えてくれたのは、プロデューサーのヴィンセント・ウィルバーン・ジュニア(Vince Wilburn Jr.)だ。

Vince Wilburn Jr.

 このヴィンセントは、マイルス・デイヴィスの甥にして、彼のレガシーを取り仕切る「マイルス・デイヴィス・プロパティーズ」のエグゼクティブ。そして、ファンクとジャズの垣根をまたいで活躍してきたドラマーでもある。
 そう、80年代ファンク・リスナーなら、「マイルス・デイヴィスの甥がキャミオにいたらしいぞ」と聞いた覚えがあるかもしれない。それがヴィンセントである。
あれは確か、キャミオがリック・ジェイムズの『Street Songs』ツアーの前座を務める時だ。リーダーのラリー・ブラックモンは本来ドラマーだが、ドラムキットの後ろに座るのではなくフロントマンに転身しようとしていた。それで俺が加入したんだ
 短期間だったが、彼の在籍がキャミオとマイルスの両者にもたらしたものは大きかった。キャミオがアルバム『Word Up!』からヒットさせた名曲“Back and Forth”のビデオにマイルス(同曲の演奏には全く関与していない)が顔を出して「ニューヨークの巨人」感を見せつけたのも、キャミオの次作『Machismo』に収録された“In the Night”でマイルスがトランペットで参加してキャミオの株が上がったのも、ヴィンセントの差し金(?)なのだから。

 この映画『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』自体、そもそもはヴィンセントが「叔父を演じられるのはドン・チードルしかいない」と勝手に断言したことに端を発するプロジェクト。とはいえ、それは亡きマイルスが2006年に『ロックンロール・ホール・オブ・フェイム』入りした際の発言だから、実現までは10年もの歳月を年月を要したことになる。
 また、当初は「監督=アントワン・フークワ、音楽担当=ハービー・ハンコック」という構想だったが、紆余曲折を経て、ドン・チードルは本作で監督デビューを飾ることとなった(原案&脚本&製作も兼任)。都合がつかなかったハービー・ハンコックに代わって、音楽担当はロバート・グラスパー。ドン・チードルだけでなく、グラスパーにとっても大いなる挑戦となった。(⇒ P2へ)