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PRINCE special / ブラック・ミュージックの流れの中のプリンスを見つめ直す

世界を揺るがした訃報から1年弱。それぞれのプリンス観を胸に、2人のハードコア殿下ファンが語り合う。彼らの心の中で今も生き続けるプリンス。ブラック・ミュージック・ヒストリーの中で、プリンスが果たした役割とは?

対談/長谷川町蔵 × 丸屋九兵衛 文責/bmr編集部

■ He’s Always in My Hair

丸屋「プリンス・ロジャーズ・ネルソンが……まあ、わたしは“雲隠れ”と呼んでるんですが……姿を消してから、1年近くになりますね。この間、町蔵さんのプリンス観を揺るがすような出来事ってありました?」

町蔵「何より“雲隠れ”自体がショックでしたね。だって還暦近かったのにルックスが全く変わってなかったじゃないですか。永遠にあの姿で活動し続けると思っていましたよ。だからまだそのことを自分の中で消化しきれていない感じです」

丸屋「わたしの最初の反応は“はあ? なんのこっちゃ”でした。未だに理解できてません。まあ、ここ何年も来日せず、殿下の姿を生で拝む機会からは遠ざかる一方、我が家では常にプリンスの曲が流れていたわけで……。その意味では、“お隠れになった”後も、何も変わらないですね。自分の本(『丸屋九兵衛が愛してやまない、プリンスの決めゼリフは4EVER』)に書きましたけど、この30年ほどずっと脳内にプリンスを祀ってあるようなものなので」

町蔵「あの本、超楽しく読まさせていただきました。あらためてプリンスはトンデモないことを言っていたなあと」

丸屋「あははは、ありがとうございます。やっぱり、“Darling Nikki”の破壊力たるや格別ですよね。歌詞検閲制度というか“ペアレンタル・アドバイザリー”ステッカーは、どうもN.W.A.と結びつけて考えられがちですが、ティッパー・ゴアに目をつけられたことではプリンスのほうが先輩。というより、“Darling Nikki”がなかったら、あんなステッカーは生まれなかったんじゃないか? そう考えると罪作りですよね、殿下って」
(編注:アル・ゴア副大統領の妻ティッパー・ゴア主導で1985年にペアレンツ・ミュージック・リソース・センター(PMRC)という歌詞を検閲する委員会が設立され、「ペアレンタル・アドバイザリー」が生まれた。そのきっかけとなったのが前年のプリンス『Purple Rain』収録の“Darlin Nikki”の歌詞だったと言われている)

町蔵「あの曲を自分のキャリアを賭けた勝負作に収録してしまうのも本当にどうかしてますよね! アメリカのポップ・ミュージック評論って、日本の洋楽評論と比べると音楽より歌詞に比重を置いたものが多いじゃないですか。もちろん母国語だってことが大きいんでしょうけど。でもそんなアメリカですら、プリンスについては“歌詞はさておき”ってスルーしているものが多いんですよね。そう考えると、歌詞世界に正面から向き合った丸屋さんの本は画期的と言えるんじゃないかと思います!」

■ Under the Bridge

長谷川「プリンスは活動期間が長かったから、ファンの年代も多岐に渡っていますよね」

丸屋「結局、羽生結弦くんは殿下ファンなのでしょうか? ここ日本で“Let’s Go Crazy”が注目されたのは彼のおかげのようですが」

町蔵「羽生くんはその前にゲイリー・ムーア“パリの散歩道”を使っていたじゃないですか。もしかしたらメロディアスなディストーションギターが好きなのかもしれない。殿下にはその手の曲が多いから、羽生くんも銀盤の“プリンス”として今後探求してほしいですね」

丸屋「衣装もパープル系が多いですしね。そうそう、“Let’s Go Crazy”といえば……ずっとお聞きしたかったんです。町蔵さんにとってのプリンス元年っていつですか?」

町蔵「84年、『Purple Rain』です。その前の『1999』からのシングルも、曲としては知っていて格好いいなと思ってはいたんですけど、MVを見たことがなかったので。だからビジュアル初体験は“When Doves Cry”。まさかあんなヌメヌメした人だとは思わなかった(笑)」

丸屋「わたしも『Purple Rain』からです。もっともわたしの場合は、その“When Doves Cry”のビデオで、お風呂から出てくるところを見て、恋に落ちたわけですが……」

町蔵「恋ですか? まあ、あの頃、思春期だった少年少女にトラウマ級の衝撃を与えたことは確かですよね」

丸屋「わたしも、あのビデオで人生の方向性が決まった少年の一人でした」

町蔵「6月にリリースされるアルバム『Purple Rain』のデラックス・エディションのリリースで新たな少年少女のファンが生まれるかもしれません。丸屋さん、映画の方は当時観ましたか?」

丸屋「観ましたよ! 当時から“この字幕はおかしい”と思ってました!」

町蔵「そこで字幕界の女王批判ですか! 『丸屋九兵衛が愛してやまない、プリンスの決めゼリフは4EVER』でも1パートを割いていますもんね」

丸屋「いつかはやってみたかった!」

町蔵「それにしても『パープル・レイン』はライブ映画として普通に優秀ですよね。みんな知っているタイトル曲、あれってスタジオ録音で口パクしたものでなく、本当にライブ演奏されたテイクなんですよね。ベースを差し替えてストリングスをダビングしただけでしたっけ。いかにプリンスがパフォーマーとして優秀な人だったかが分かる」

丸屋「映画では続いて披露される“I Would Die 4 U”と“Baby I’m A Star”も、ほぼライブ音源ですね」

町蔵「次の主演映画『アンダー・ザ・チェリームーン』、興行的にも批評的にも酷評された作品ですけど、わりと好きなんですよ。オールド・ハリウッドへのオマージュを様式込みで捧げたという点では『アーティスト』や『ラ・ラ・ランド』より早かったし、それを当時まだ二十代半ばだった男がほぼ独力で作りあげたという事実は何気に凄い」

丸屋「なぜかミャンマーで人気がある怪作です」

町蔵「90年の『プリンス/グラフィティ・ブリッジ』、日本では未公開でしたけど、ぼくはニューヨークの映画館で見てるんですよ。封切直後だったにもかかわらず、ぼくの他にはアフリカ系の親子連れが一組いるだけで、さみしかった記憶があります」

丸屋「えっ、映画館内にお客さん数名?! それってマライア・キャリーの『グリッター きらめきの向こうに』なみのガラガラ具合では……」

町蔵「まあ、あれ以降プリンスが劇映画から撤退したというのは良く分かるんですが」

丸屋「あははは、それは言わない約束ですよ! 『グラフィティ・ブリッジ』は、いろいろな意味でプリンス色が出た作品ではありましたよね。なんといっても、主演・監督のみならず脚本までプリンスなので」

町蔵「だからイングリッド・シャヴェイズ扮するヒロインのキャラ造形がムチャクチャなんですよね。橋の下でメルヘンチックなポエムを書いていたかと思うと、次のシーンではクラブでランジェリー姿でノリノリで踊っているという。まあ殿下の理想の女性像を忠実に具現化したら、ああなっただけなんでしょうけど」(→ P2に続く)