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BEYONCÉ / ビヨンセ最新作『Lemonade』の音楽を読み解く

iTunesでは世界102ヵ国で1位を獲得、当然のように全米・全英チャート1位を制したビヨンセの最新作『Lemonade』。販売戦略や、映像作品としてのインパクト、歌詞が発する社会的~ゴシップ的メッセージの考察など様々な面で注目された本作だが、音楽作品として純粋に語られることはあまり多くないように思える。日本語字幕付き映像の付く日本盤の発売を7月6日に控える今、改めて彼女がどういう音楽を生み出したのか考えてみたい。R&Bリスナーの視点から、荘 治虫が『Lemonade』を読み解く。

文/荘 治虫

ビヨンセの新作『Lemonade』がサプライズ・リリースされてから2ヵ月が過ぎた。2013年にiTunesストアでの突然のリリースにより、インターネット時代らしい新たな流通/プロモーションを全面的に打ち出して大きな話題と成功を収めた前作『Beyonce』と基本的には同じリリース形態となる。ただひとつ違ったのは、今回はiTunesではなく、彼女の夫であるジェイ・Zが買収したTIDAL限定のストリーミングとなったことだ。TIDALはジェイを筆頭に、カニエ・ウェスト、ダフト・パンク、リアーナ、マドンナ、そしてももちろんビヨンセなどが共同所有する、アーティストたちによる音楽配信サービス。デジタル販売(ストリーミングではなく買い切り)に関してはiTunesなど他サービスにも開放されているとはいえ、『Lemonade』がTIDALを優先させたことで同サービスの契約者数は跳ね上がったようだ。

『Lemonade』に関する報道を見て思うのは、こうしたビジネス的な側面か、もしくはジェイの浮気を強く匂わせる私生活覗き見的なリリックから女性、黒人といった属性にまつわるマクロな問題に見事に展開していくメッセージにほとんど終始していることだ。もちろん、作品に込められたメッセージを背景と照らし合わせて汲み取る行為は間違いなく必要だろう。とはいえ、彼女がどのような存在であろうと、あるいはいかに画期的なリリース形態を取ろうとも、ぼくらが音楽家に求めるのは、何はなくともまず音楽であるという事実に変わりはない。というわけで、ここでは『Lemonade』の音楽面について、R&Bリスナーの視点から考えてみたい。

映画のシーンが変わればそれに合わせて音楽も変化するように、表現したいシーンに合わせて明確にスタイルが、ジャンルが違う

前作『Beyonce』の驚きのひとつは、アルバムにすべてのビデオが付随していたことだった。従来はプロモーション用途としてシングル・リリースごとに制作されてきたビデオが、アルバムに含まれて販売されたわけである。それも、音源14曲に対してビデオ17曲と、画が音を上回っている。聴くだけではなく「観る」音楽としてのヴィジュアル・アルバムというコンセプトに彼女が辿り着いたのは『Beyonce』の制作途中だったという。今回はさらにこれを推し進め、曲間にビヨンセの独白のようなポエトリー・リーディングを挟み込んだ切れ目のない一編のビデオ作品として作り上げた。12曲46分弱のアルバムに対し、ビデオは65分を超えている。もはやビデオこそがメインであって、音楽はその一部を切り出したものと考えた方がいいのかもしれない。

アルバム『Beyonce』について自身が語るドキュメンタリー(下部)を観る限り、彼女の音楽制作の際のインスピレーション源となっている原風景や、経験した出来事、あるいは夢や幻想といった自身の中にある景色やイメージを映像として表現したものがビデオということになるだろう。二度目のヴィジュアル・アルバムとなる今回は当初からこの形態(ヴィジュアル・アルバム)として計画されたとするなら、仮に曲作りが先行したとしても、その制作過程において常に映像となることが念頭に置かれていたことは想像に難くない。また、映像作品としての高い完成度を目指せば目指すほど、トラックのビートに合わせて歌って踊る、といった従来のステレオタイプなプロモーション・ビデオの体裁や制作のプロセスから解き放たれ、また、表現したいシーンに合わせて曲調や音楽スタイルのチョイスについて広がりが出てくると考えられる。

実際、『Lemonade』には様々な音楽的要素が詰め込まれている。映画のシーンが変わればそれに合わせて音楽も変化するように、単にスロウやアップなどという次元ではなく、明確にスタイルが、ジャンルが違うのだ。たとえば、極めて抑制を利かせたゴスペルのようにも受け取れるほぼドラムレスなスロウ曲“Pray You Catch Me”の次に、アンディ・ウィリアムスのオールディーズ使いがエンヤ“Orinoco Flow”にも似た“Hold Up”にレゲエ風ともアフリカ風とも取れるフロウを乗せたかと思えば、“Don’t Hurt Yourself”ではレッド・ツェッペリンの“When The Levee Breaks”をサンプルし、ヴォーカル・スタイルもティナ・ターナーやケリス、ジョス・ストーンといったロック寄りのソウル・シンガーよりもずっとワイルドでダーティに振り切ってみせる。もとから彼女はダイナミックスの大きいヴォーカリストだが、それにしてもこんなに激しいビヨンセは初めてだ。ヴィジュアル・アルバムを作るという作業は、それ自体が新鮮で刺激的な試みであるのと同時に、音楽面においても彼女に少なからず新たな視点を与えているのだと思う。

非R&Bリスナーたちからの受けの良いインディーR&B/アンビエントR&Bを聴かせておきながら、ラストで強烈なカウンターを喰らわせる

ジェイムス・ブレイク、ケヴィン・ギャレット、ブーツ、ジャック・ホワイト、エズラ・クーニグ(ヴァンパイア・ウィークエンド)。『Lamonade』のクレジットには、非R&B系のミュージシャンたちの名前がずらりと並んでいる。このうち、最もR&Bから離れているのは元ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトだろうか。彼は以前にアリシア・キーズと『007 慰めの報酬』のテーマ“Another Way To Die”をデュエットしていたが、企画もの的にどこか遠慮がちだったそれと比べると今回の“Don’t Hurt Yourself”はそうした遠慮がまったく感じられない。先に触れたように、ビヨンセの乱れ方が半端ないのだ。

場違いな名前と言えそうなエズラ・クーニグの関与は、前述したアンディ・ウィリアムス使いの“Hold Up”のソングライト。これは、同曲を手がけるディプロと共にヴァンパイア・ウィークエンド用として作り始めたもの(エズラがヤー・ヤー・ヤーズ“Maps”の一節「they don’t love like I love you」をツイートしたものが大元だとか)がビヨンセに渡り、それを元に制作されたということらしい。ちなみに、ディプロはビヨンセの“Run The World (Girls)”でサンプルされていたメジャー・レイザー“Pon De Floor”を作ったDJ/クリエイター(メジャー・レイザーは彼を核とするプロジェクトだ)。アッシャーに“Climax”というアンビエント系の傑作を提供したこともあった彼のことだから、R&Bシンガーとの相性は悪くない。けれども、ここでもやはりビヨの歌が圧倒的。抜群のフロウで歌とラップを自由に行き来し、最後にはソウルジャ・ボーイ・テレム“Turn My Swag On”を口ずさんで意味ありげに終えるのだ。

※ディプロが公開した、エズラ・クーニグによる“Hold Up”のデモ音源

ディプロ以上に、こう来たか、と思わせるのがジェイムス・ブレイクの起用。彼は“Pray You Catch Me”の共作およびシンセ・ベースを担当するほか、後半のキーとなる小品“Forward”ではプロデュース/ソングライトばかりか、なんとメイン・シンガーとして歌っている。ポスト・ダブステップのシーンから現れ、ソウルの影響を受けた新世代の耽美的実験的音楽の探求者である彼は、ハーモニミックス名義でデスティニーズ・チャイルド“Bills, Bills, Bills”のリミックスを発表したこともあった。近年はエレクトロニックな要素をそぎ落とす傾向があり、また、フランク・オーシャン(前作『Beyonce』に参加)と共作するなど、その音楽性はアンビエントR&B/インディR&Bなどと言われるオルタナティヴR&Bシーンともクロスする。

このアンビエントな流れは、ザ・ウィークエンドをフィーチャーした“6 Inch”にも通じている。彼を支えるクリエイターのダニー・ボーイ・スタイルズをプロデューサーに加え、TR-808が響く作りはまさに『Beauty Behind The Madness』の世界だ。ビヨンセはエフェクトをかけてドスを利かせた声と、通常の伸びやかな歌声の2種類を使い分ける。ちなみに、この曲のソングライトにはザ・ドリーム(テリウス・ナッシュ)も参加。

R&B/ヒップホップ周りで言えば、ビヨンセと同郷のヒューストン出身で、Rap-A-Lot Recordsの諸作やカニエ・ウェストなどを手がけたことで知られるプロデューサー/エンジニアのマイク・ディーンが前作から引き続き参加し、808のミニマル・ビートに柔らかなヴォーカルが溶け込むアンビエントな美曲“Love Drought”を制作するほか、ジェシー・ボイキンスIIIとのコラボでも知られるMC/MPC使いのメロー・Xがこれまた808ビートを使った“Sorry”を手がけている。トラップ的な細切れの譜割りを妙に明るい節回しに乗せた後者は、アンビエントというよりは、リズムの面白さと、それに応えるヴォーカルの面白さが魅力。ジェイの浮気相手とされる「ストレート・ヘアーのベッキーでも呼べばいいじゃない」というリリックが話題となったナンバーだ。

このほか、ブラス・バンドをフィーチャーしたカントリー風の“Daddy’s Lessons”が中盤に置かれるなど、ジャンルの境界がぼんやりと薄れゆく音楽シーンのムードを象徴する一枚とも言える『Lemonade』だが、クライマックスに向かう終盤3曲に来てドドドっとR&B/ヒップホップのルーツに立ち返る。まず、個としての自由を黒人の自由へと読み替える“Freedom”にはケンドリック・ラマーを招くという最適の人選で挑み、救済をテーマにした“All Night”にはアウトキャスト“SpottieOttieDopaliscious”を下敷きに歌い直して同世代のアーバン・リスナーたちに強くアピールする。ちなみにこの両曲の活き活きとしたベースはマーカス・ミラーが弾いている。

極めつけはラスト。彼女は最後の一発で、キャリア史上最もストリート寄りとなるマイク・ウィル・メイド・イット制作の本家トラップ系ビートに乗って黒人宣言たる“Formation”をかます。非R&Bリスナーたちからの受けの良いインディーR&B/アンビエントR&Bを聴かせておきながら、ラストで強烈なカウンターを喰らわせるのだ。

旬の音楽を我が物とし、どんな歌い方もマスターしてR&B色に染め上げる様は、実はR・ケリーに近いかもしれない

カニエ・ウェスト~ドレイクから発展していったアンビエントR&Bの流れと、アトランタの濃厚なトラップとの間というのが昨今のメインストリームR&Bのひとつの落としどころとするなら、そこをベースとしている『Lemonade』はそれほど無謀な作品ではない。とはいえ、やはり脱R&B的というか、Pitchforkのような非R&Bフィールドから成立してきたメディアや、そうした耳を持つリスナーたちの方を向いたアルバムという印象は否めない。もっとも、彼女のジャンルレス志向はいまに始まったものでもない。『I Am…Sasha Fierce』リリースの際、オフィシャル・インタヴューの中で彼女はこんなことを言っていた。

「わたしは実はフォークも好きだし、オルタナティヴ・ロックもソウルも好きなの。だからわたしはポップ・シンガーでも、R&Bシンガーでも、どう呼んでもらっても構わないんだけど、だからって人の想像の範囲を超えるような音楽をやっちゃいけない、ってことにはならないでしょ?」

ピアノをバックにした“Sandcastles”では歌を破綻させることを躊躇わずに感情を込めており、白人シンガーのロック的表現にも聞こえる。同じ曲を同じ譜面でロック・シンガーやカントリー・シンガーが歌ったなら、それはもちろんR&Bにはならないだろう。けれども、彼女の、譜面に書ききれないタイミング制御やメロディのちょっとした崩し方が歌をどうしようもなくソウルに聴かせることも確かだ。白人的なヴォーカル・スタイルを取りながらいかにR&Bシンガーとしての個性を出すのかというチャレンジだとするなら、これは大いなる挑戦である。

振り返ってみれば、デスティニーズ・チャイルドのデビュー時、ワイクリフ・ジョンによるレフジー・キャンプ調のヒップホップ・ビートに対してラッパー顔負けの速射ヴォーカルで見事応えた“No, No, No Part 2”でブレイクした彼女は、そのスタート地点からR&Bを力強く前へ前へと進めてきた。強烈な個性で旬の音楽を我が物とし、どんな歌い方もマスターしてR&B色に染め上げる様は、実はR・ケリーに近いかもしれない。

とまあ、音楽部分にこだわってさんざん書いてきてなんだが、やはり映像部分があるからこそ広いリスナー層に届けられるという面も認めざるを得ないだろう。哀しみや怒り、後悔、願い、自尊、愛といった、ヴォーカルに込められた過剰なまでの心情・感情表現のわけは、物語としての『Lemonade』を体験することで初めて本当の意味で理解出来るものだ。映像を観て再び音に戻ったとき、ジャンル云々では決して語ることの出来ない、ビヨンセのすさまじいまでの感情の渦に引き込まれることになる。