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黒人音楽界、最後の天才。復活を遂げたディアンジェロの軌跡を追う

昨年末に15年ぶりのアルバム『Black Messiah』をリリースし、世界中を歓喜させたディアンジェロ。そのDが20年ぶりの来日をきたす今夏。彼が辿ってきたキャリアを再訪することで、この天才の全貌に改めて迫ってみたい。

文/出田 圭

そこには当時主流の音楽市場とは相容れない、アクのようなものがかなり含まれていた

ディアンジェロ(D’Angelo)が、来る
大言壮語や誇大妄想を御法度にしたうえで書くけれども、これはまぎれもなく事件である。

伝え聞くところでは、近来の彼のライヴは、めちゃ高密度なソウル&ファンク・ギグとなっているという。昨年末に急遽リリースされ、世界の耳目を一気に集めた最新作『Black Messiah』と、それに先駆けて2年ほど前から始まったヨーロッパ・ツアーやアメリカ国内の音楽フェスなどでのライヴでは、みずからギターを弾き、ロック性を強めたことも話題を呼んだ。『Black Messiah』の数曲にあった痛烈なメッセージにも強いインパクトがあった。それやこれやを巻き込んで、ディアンジェロは漆黒のステージを繰り広げているという。ひょっとして、これまで体験したことのないようなライヴになるのではないか?と、見る側であるにもかかわらず武者ぶるいを禁じ得ないありさまである。

未体験といえば、それまでに聴いたことがないような音楽を生み出しつづけてきたことは、ディアンジェロの半端ない傑出ぶりの大きな理由だ。このことは、彼がDの一文字をもって呼ばれるゆえんのひとつでもあるだろう(クインシー・ジョーンズがQと呼ばれるのとは少し違うのかもしれないが)。デビュー・アルバム『Brown Sugar』でR&Bのゆくえを大きく変えたDは、5年後のセカンド作『Voodoo』で新たな領域にどっぷり踏みこんで、リスナーやアーティストたちを再び震撼させた。さらに15年近くを経たサード作『Black Messiah』で、三たび驚きと興奮を巻き起こしている。

ともすればすぼまりがちなシーンにエッジを突き立て、ヴァイブスで揺さぶり、音楽は生きものであることをとことん見せつける。こんな男、ちょっといないんじゃないだろうか。

ディアンジェロと名乗った21歳の青年マイケル・ユージーン・アーチャー(Michael Eugene Archer)が、デビュー・アルバム『Brown Sugar』を発表したのは1995年のこと。このとき、日本のR&Bヘッズやヒップホップ・ヘッズが明らかにざわついたことを覚えている。それは困惑と賞賛が入り混じったある種の動揺でもあった。かくいう僕も最初に「え?」と思わなかったといえばウソになる。聴いたことのない類の音楽なのだ。にもかかわらず、聴き覚えがあるはずという気持ちも猛烈にかき立てられていた。

あとから思えば、ジャケットのアートワークにもアルバムの特性が集約されていたのだろう。セピア色にくすんで白い折れジワが入った古びた写真には、髪を細かく編んだお洒落な現代青年が、大振りな襟のコートを着て彫像のように写っていた。そこには、90年代ストリート感覚によるオールド・ソウルのリセット、とでもいった作品の全体像が表現されていた(大襟のコートはマーヴィン・ゲイ『What’s Going On』へのオマージュだったことが後年明かされている)。

牧師を父にもつDは、ヒップホップに教会の雰囲気をもさりげなく注入し、人々を夜のとばりに深々と引きずり込んだ。2010年のWaxpoetics誌(日本版では12号)でマイケル・A.ゴンサレス氏も引き合いに出しているように、Dのこうした側面はレイ・チャールズを思い出させる。偉大なレイはかつてブルースにゴスペルを持ち込んで、人々を熱狂の渦に巻き込んだ。

『Brown Sugar』の曲の大半は、Dの故郷ヴァージニア州リッチモンドで書かれ、デモ・テープもそこでつくられた。やがてDはニューヨークへ行き、敬愛するア・トライブ・コールド・クエスト(A Tribe Called Quest)のアリ・シャヒード(Ali Shaheedと懇意になり、トライブの録音エンジニアでもあった才人ボブ・パワー(Bob Power)に紹介された。Dはパワーとともにスタジオに入り、デモ・テープの曲を仕上げていった。

そのデモには、“Brown Sugar”と“Lady”は含まれていなかった。“Brown Sugar”をDと共同でプロデュースしたアリ・シャヒードは、ダブル・ミーニングの意味深(?)なリリックをラップ調で歌ったその曲が、ニューヨークのスタジオで偶然しかもごく短時間で生み出されたことを、前出Waxpoetics誌やいくつかのweb記事などで明かしている。いっぽう、Dの存在をより広く知らしめることになった“Lady”は、Dをアリに紹介したというラファエル・サディーク(Raphael Saadiq)が発案した曲だ。

デモ・テープに話を戻せば、そこには当時主流の音楽市場とは相容れない、灰汁(アク)のようなものがかなり含まれていたという。Dとパワーはそれらを活かすべく慎重に対処した。Dはかねてより敬愛していたプリンス(Prince)に倣い、一部の例外を除いては、ドラム・プログラミングを含むすべての楽器を自分で演奏することで主導権を確保した。その結果、一部のアクはクォリティのため削ぎ落とされたものの、いくつかは作品にそのまま息づくことになった。アメリカ南部らしいレイドバック感覚は、そのうち最も重要なエレメントだろう。次作『Voodoo』や最新作『Black Messiah』での強烈な個性へと結実していったのもそれだと思う。(→ P2に続く)