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A Conversation with D'ANGELO 全訳 / ニュー・アルバムが待たれる寡作の天才が全てを語る

去る5月21日、〈Redbull Music Academy Festival New York 2014〉の一環として、あのディアンジェロをフィーチャーしたトークイベントがブルックリンで行なわれた。ホストを務める名ジャーナリストのネルソン・ジョージが、ディアンジェロの語りを引き出していく。2枚の名作『Brown Sugar』と『Voodoo』が生まれた経緯。現在のディアンジェロが目指す方向性。途中、クエストラヴも飛び入りして白熱する、「ディアンジェロ・オン・ディアンジェロ」なトークの一夜。ここに、その全訳をお届けする。

訳:押野素子 translation by Motoko Oshino Matthews / Photo by Drew Gurian/Red Bull Content Pool / 協力:Red Bull Japan

ピアノは俺にとってメインの楽器だけど、俺はピアノでギターとベースを真似していたような気がする

ネルソン・ジョージ(以下、N):こんにちは。お元気ですか。作家、フィルムメーカー、ライターのネルソン・ジョージ(Nelson George)です。今夜、こうしてレッドブル・ミュージック・アカデミーに参加することができて光栄です。これから、我々の時代で最も影響力が強く、時に論議の的となる深遠なアーティストのひとりと話をします。ディアンジェロ(D’Angelo)です。
まずはギター演奏の話をしようか。

ディアンジェロ(以下、D):よお、ブルックリン。調子はどうだい?

N:僕にとって、ディアンジェロ陣営が音楽的に大きく変化したと思う点は、君が音楽にギターを加えたことだ。君はギター・プレイヤーになった。そうなった経緯と、音楽的な影響について話してくれるかな?

D:ええと、ギターは前から弾いていたよ。『Voodoo』でもちょっと弾いてたんだ。“Left and Right”とか数曲でね。でも、『Voodoo』のレコーディング中、俺たちは[Electric Lady]にいた……だから……(ハーッと大きな溜息)……ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)に大きな影響を受けていた。彼の大きなスピリットがスタジオに存在していたんだ(*)……。(ウ~ンと唸り声)
(訳者注:[Electric Lady Studios]は、ジミ・ヘンドリックスが1970年、ニューヨークに建設したスタジオ。ディアンジェロは、『Voodoo』リリース直前のインタヴューで「レコーディング中、1番印象的だったこと」として、「ジミのスピリットをスタジオの中で見て、あれにはビビった」と語っている)

いつも思ってたんだけど、俺のピアノのスタイルって……ピアノは俺にとってメインの楽器なんだけど、俺はピアノでギターとベースを真似していたような気がするんだ。俺はベースは弾ける。ギターはあまり弾かなかったけど、キーボードはたくさん弾いていた。俺は、頭の中のサウンドをキーボードで実現していたけれど、頭の中のサウンドをリアルにプロデュースしたいって思ったのさ。これで俺のキーボードに対する見方が変わった。ギターとベースは肉とポテトのようなもので、キーボードは、その上に乗せる彩りのようなものだと今は考えてる(*)。これが今の俺なんだ。
(訳者注:「ギターとベースは肉とポテト」=アメリカの料理では、肉とポテトはメインとなる主役なので、ギターとベースはメインとなる楽器と言っているものと思われる。一方、「キーボードはcoloring(彩り)」というのは、「キーボードはその上に乗せる飾り=ギターとベースに付随する楽器」を意味していると思われる)

N:ジェシー・ジョンソン(Jesse Johnson)も、この変化の一因になっているだろう?

D:うん、そうだね。

N:ジェシー・ジョンソンはザ・タイム(The Time)のギタリストで、ソロ・アーティストでもあります。先に進む前に、写真はご遠慮ください。携帯電話での撮影も駄目です。使っていたら、図体のデカいセキュリティに捕まりますからね。写真は禁止ですので宜しく。ジェシー・ジョンソンの話に戻るけど。

D:『Voodoo』の後、ジョン・マクレイン(John McClain *)を通じて……っていうか、アラン・リーズ(Alan Leeds *)を通じて、ジェシーに連絡したんだ。
(編集注:A&M Recordsなどの重役を務め、80年代からジャネット・ジャクソンなどを手がけてきた重鎮。ジェシー・ジョンソン作品をプロデュースしたこともある。マイケル・ジャクソン・エステートの共同執行人としても知られ、先日発売された『Xscape』のエグゼクティヴ・プロデューサーのひとりでもある)
(編集注:アラン・リーズは60年代後半からジェイムス・ブラウンのツアー・マネージャーとなり、プリンスやディアンジェロとも働いた人物。また弟のエリック・リーズはプリンスのバンドなどで活躍したサックス奏者であり、最近はジェシー・ジョンソンと共にディアンジェロのバンドで演奏している)

N:うん。

D:すぐに親しくなったよ。初めて電話で話した時……実際会う前に、何年も電話で話してたんだけど……とにかく驚いた。本人にも言ったんだけど、「俺の兄貴と声がそっくりだ」って思ったんだ。声も使う言葉も、まるで一番上の兄貴のルーサー(*)みたいだった。だから、すごく親近感を覚えたんだ。
(訳者注:ディアンジェロは3人兄弟の三男。長男のルーサーは、ディアンジェロの7歳上。次男のロドニーは、ディアンジェロの5歳上)

カリフォルニアのブレイクスリーにあるラファエル・サディーク Raphael Saadiq)のスタジオで初めて会ったんだけど、まず彼は、俺にギターを何本かくれたよ。今俺が使ってる黒いミナリークのギターと、彼が使っていたギターを1本くれたんだ。

N:ピンクの持ってるよな?

D:ああ、あれは彼のギターだ。(ジェシー・ジョンソンの86年作)『Shockadelica』で持ってるヤツだよ。ピンクのフェンダー・インヴェーダーだ。

N:彼との仕事で、自分の演奏はどう進化した? どんな影響を受けたのか……

D:もちろん、彼と一緒に練習して、ヨーロッパでいくつかショウをやった。その前には、彼が俺にいろんなことを教えてくれて、俺も彼にあらゆる質問をしたよ。プリンス(Prince)のこととかも訊いた。

N:プリンスの質問か、当然だろうね。

D:うん(笑)。ザ・タイムとプリンスの確執はガチだったから、ちょっとヤバい感じになったけど、それでも愛情は失われていなかった。今でも彼は、大きな愛と敬意を持ってプリンスのことを話しているよ。俺はスポンジみたいに、全てを吸収しようとしてただけさ。 (→ P2に続く)