bmr

bmr>FEATURE>monolog interview / ボストンの天才日本人プロデューサーが語る、「混ざり合うこと」

FEATURE

monolog interview / ボストンの天才日本人プロデューサーが語る、「混ざり合うこと」

バークリー音楽院を卒業し、ボストンを拠点に活動している天才日本人プロデューサー/マルチ・インストゥルメンタリストによるソロ・プロジェクト=monolog。すべての楽器をひとりで操り、ジャズ〜ソウル〜ファンクを軸とした黒いサウンドを巧みに構成するこの男はいったい何者なのか? 90年代ヒップホップへのオマージュも込めたニュー・アルバム『14 Beats N’ Rhymes』を出した彼のロング・インタビュー第一弾。音楽への愛溢れる熱いメッセージ、日本のミュージシャンたちにも是非読んで欲しい。

取材・文/末崎裕之 hiroyukisuezaki (bmr)

バークリー音楽院在学中に故ジョージ・デューク(George Duke)とのアンサンブルを経験し、パトリース・ラッシェン(Patrice Rushen)は「茶飲み友達」——The Source誌主催のユース・コンペティションで優勝、シー・ロー(Cee Lo Green))やスラム・ヴィレッジ(Slum Village)、デ・ラ・ソウル(De La Soul)らのバックでも演奏したことのあるボストン在住の日本人プロデューサー/マルチ・インストゥルメンタリストでありダンサーでありDJ。それが金坂征広。そして彼が「たった1人ですべて­の楽器をこなし音楽を構築する」という趣旨でスタートさせたソロ・プロジェクトが、このmonologだ。

山口リサ作品で、オールドスクールな空気も漂うR&Bなどをプロデュースし、彼女のデビュー時から支えるU-Key a.k.a. Yuki Kanesakaとしても知られる彼だが、彼がそのありあまるエナジーとアイディア、創造意欲をぶつけているプロジェクトが、monologと言っていいだろう。2012年にはコモン(Common)、ナズ(Nas)、ファーサイド(The Pharcyde)、デ・ラ・ソウルなどからディアンジェロ(D’Angelo)、キース・スウェット(Keith Sweat)までを全て自身の生演奏によるサウンドでカバーした処女作『Re:Live -JAZZ meets HIP HOP CLASSICS』をリリースし、かのDJスピナ(DJ Spinna)が「クラシック・アルバムと断言できる」と賞賛した。

そして昨年10月、自身のオリジナル曲を中心とした『17 Living Souls』を発表。アーチー・ベル&ザ・ドゥレルズ(Archie Bell & The Drells)の“Tighten Up”やスティーヴィ・ワンダー(Stevie Wonder)“As”といったカバーや、ミーターズ(The Meters)へのトリビュート・ナンバーも含め、彼の根底にあるファンクネスやグルーヴへの愛が前作以上に浮き彫りになった、実に“黒い”作品だった。あれからまだ半年という短い中で、monologはさらに2枚のアルバムをリリース。他にもプロデュース仕事など多々こなしているわけだから、ものすごいペースだ。パートナーであり、今回のインタビューにも同席してくれたソーシィー・レディー(Saucy Lady)も彼の制作スピードを「もう本当に速い。マッハに速い」と証言する。さらに、頭の中にはまだ5枚ある、とハードワーカーの彼はさらりと語る。最新作『14 Beats N’ Rhymes』の話をする前に、まずはこの男が何者なのか、探っていこう。

音楽は趣味でやろうって最初は思ってたんですよ、中学校卒業くらいまでは

子供の頃から音楽を始め、それが原体験となっている彼の第一歩は、幼少の頃の「忍者になりたい」という夢から始まった。

母に『忍者になるためにはどうしたらいいんですか?』って訊いたら、『忍者になるためには何でもできなきゃいけないから、スイミングとピアノを習いなさい』と。なんでピアノを習わなきゃいけないの?とは思ってたんですけど、『何でもできなきゃいけないでしょ』って言いくるめられて(笑)。それで小学校からずっと……

当時は「音楽は趣味でやろうって最初は思ってたんですよ、中学校卒業くらいまでは」と思っていたが、しかし中学の時に始めていたヤマハのエレクトーンのデモンストレーション演奏の仕事と、学業の両立は難しかった。

中学生なんで、プロのレベルまで持っていくのが大変なんですよ。だから、すごいいっぱい練習するんです。練習しても練習しても、やっぱりプロフェッショナルな音からは自分の音は遠いなって思ってたんですけど、でも練習しないといけないなと思って……頑張ってやってましたね。

でも受験勉強もあって、なかなか勉強との折り合いも付かず、受験に失敗して。本当はきっと音楽がすごくやりたかったんだと思うんですけどね。音楽をやりたくて、受験勉強も頑張ってやってて、でもバランス取れてなくて……。合格発表の日に、学校の先生がみんなの前で言ったんですよ。『今日受かったやつおめでとう、そいつらはみんな喜べ』、と。『でもこの中に落ちたやつもいる。落ちたやつはそこで泣いて、人生でもなんでも変えてみろ』って。それでこれまで頑張った勉強を一旦置いて、自分のやりたいことを……。同じ時間を使うんだったら、“自分が損しない生き方”をしたいと思って。自分の音楽を聴いてくれる人たちが喜んでくれている、っていうことは、ストリートパフォーンマンスとかをいっぱいやってたんで、自分では分かってたんですね。やっぱり、自分の中でそこに価値があった。目の前の勉強を頑張るより、人と触れ合ったり、人の前で演奏したりして、人に自分の音楽を聴いてもらうことのほうが、僕にとって価値があったんです。

高校入ってからは朝方までトラック・メイキングやって、学校帰りにジャムセッション行ったり。デモンストレーターの仕事もしてたんでデモ演(奏)の練習したり。ダンス仲間たちとダンスやったり。そういう感じの、一般的な高校生のライフスタイルに音楽が足された感じです。今も同じような生活送ってますけどね(笑)

小学校の頃にすでに打ち込みを覚え、AXIA ARTIST AUDITIONなどのオーディションで入賞した賞金で機材を買い足していった彼は、こうして高校の頃には音楽中心の生活になっていき、バークリーへと進学することになるわけだ。 (→ P2へ)