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Saba

サバ

チャンス・ザ・ラッパー(Chance the Rapper)のグラミー受賞作『Coloring Book』のリード曲“Angels”へのゲスト参加や、ノーネーム(Noname)『Telephone』のプロデュースなどで知られるシカゴの若手ラッパー/シンガー/プロデューサー。兄はラッパーのジョセフ・チリアムズ(Joseph Chilliams)で、共にピヴォット・ギャング(PIVOT Gang)と呼ばれるクルーを率いている。本名はタージ・マリーク・チャンドラー(Tahj Malik Chandler)。

1994年生まれ。シカゴ西部のオースティンで育った。父親は2000年代に『Strong Emotions』、『Finally Got My Swagga Back』と発表しているローカルのR&Bシンガー、チャンドラー(Chandlar)。おじはヒップホップ・プロデューサー、祖父母はファンク・バンドに在籍したことのあるミュージシャンといった音楽一家に育ち、7歳でピアノを始めたという。また父方の祖父には元シカゴ24区の市会議員マイケル・チャンドラーがいる。ボーン・サグスン・ハーモニー(Bone Thugs-N-Harmony)の影響を受けており、特にボーン・サグスン・ハーモニーがゲスト参加したノトーリアス・B.I.G.(The Notorious B.I.G.)の“Notorious Thugs”を知った際に、ラッパーになりたいと思うようになったとか。8~9歳頃のことだった。カセットレコーダーを使って自分のラップを吹き込んでいたという。

父親は自身の音楽キャリアを求めてニューヨークへ行ったため、父子は1~2年に一度のペースでしか会えなかったが、スタジオに入れたりコンサートに連れていったりと子供たちに様々な音楽の世界を見せたという。こうしてタージは兄と共に、音楽の道を真剣に志すようになる。教育熱心な家族だったため、学校を優先するよう求められたが、彼は成績優秀で、12歳で高校に入学、16歳で卒業(GPAは3.5)、17歳でコロンビア・カレッジ・シカゴに入学するなど飛び級で進学していった。

だが高校時代には、早くもミックステープを発表するようになる。シカゴの子供たちにポエトリーやラップ、アートなどを教えるスペースであるYOUmediaに行くようになった彼は、YOUmedia主催のオープン・マイク・イベントで、チャンス・ザ・ラッパーやノーネームたちと知り合うようになる。16歳~17歳頃のことだという。この頃からこのオープン・マイクでパフォーマンスを披露するようになり、2011年初頭には初めてのミックステープ『Born Emperors』を発表。高校の廊下で配っていたという。高校卒業前までにEP『The Ozymandias』、卒業後の2011年夏に『The Manhattan Project』と矢継ぎ早に作品を完成させていく。なお、サバというMC名はサボタージュ(Sabotage)に由来しており、元々はサボタージュと名乗っていたが、周りから省略して「サバ」と呼ばれ、これをアーティスト・ネームとしたという。

サバが注目されるようになったのは、チャンス・ザ・ラッパーとの共演も大きいが、16歳~17歳頃に知り合ったものの、しばらくはチャンスとそれほど交流を持たなかったという。しかし、チャンスの2012年のミックステープ『10 Day』で2曲をプロデュースしていたDJサッチ・エン・サッチ(DJ Such N Such)が、同年末にリリースされることになるサバのミックステープ『GETCOMFORTable』に参加していた縁で、サバの曲を聴いたチャンスから『Acid Rap』への参加を請われ、活発に交流を持つようになったとのこと。こうして2013年4月に発表され、チャンス・ザ・ラッパーをブレイクに導いた『Acid Rap』に“Everybody’s Something”でゲスト参加した。同年には、ミック・ジェンキンス(Mick Jenkins)『Trees & Truths』、ヴィック・スペンサー(Vic Spencer)『The Rapping Bastard』等にも参加した。

そして2014年7月、サバが『ComfortZone』を発表した。高校時代は周囲に馴染めず、友人もいなかったという彼が、YOUmediaなどを通じて自分の「心地よい居場所」を見つけた喜びが表れた同作には、キャム・オビ(Cam O’bi)、カーター・ラング(Carter Lang)、ジャミーラ・ウッズ(Jamila Woods)、父チャンドラーらが参加。父親のネオ・ソウル・サウンドから強く影響を受けた同作は、高く評価された。

さらに2015年には、ダニー・トランペット(Donnie Trumpet)&ソーシャル・エクスペリメント(The Social Experiment)の話題作『Surf』への参加を始め、ミック・ジェンキンス『Wave[s]』、カーク・ナイト(Kirk Knight)『Late Knight Special』に参加。そして同年10月には、チャンス・ザ・ラッパーが発表した“Angels”にゲストとして迎えられ、大きな脚光を浴びた。同曲は、後に第59回グラミー賞最優秀ヒップホップ・アルバムに輝く2016年の『Coloring Book』に収録される。この2016年にはさらに、ジャミーラ・ウッズの『HEAVN』へのゲスト参加に加え、ノーネームの『Telephone』では7曲をプロデュースと、絶賛されたシカゴ新世代勢への作品に次々と参加した。他にも、ジョーイ・パープ(Joey Purp)『iiiDrops』などに参加している。

こうした活動を経て、2016年10月に、初の商業デビュー・アルバムとなる『Bucker List Project』を発表した。2017年には兄ジョセフ・チリアムズがデビュー・アルバム『Henry Church』を発表し、ピヴォット・ギャング勢でプロデュースしている。

「ピヴォット・ギャング」は元々、兄のジョセフ・チリアムズが『フレンズ』を観ていた際、劇中でロスがソファを運ぶ際に「Pivot! Pivot! Pivot!」と言っていた台詞から生まれた言葉で、友人のラッパー、フレッド・ウォーターズ(Frsh Waters)らとの仲間を示すものとして使われ、サバらを含むクルーとして発展した。2013年にはピヴォット・ギャングとしてミックステープ『Jimmy』を発表している。これは収監されたフレッド・ウォーターズに捧げたものだという。サバらの従兄弟であり、ジョン・ウォルト(John Walt)、後にディナー・ウィズ・ジョン(Dinner With John)名義になったシンガーのウォルター・ロング・ジュニアは、2017年2月、何者かに刺され、24歳の若さでこの世を去っている。