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Jermaine Dupri

Jermaine Dupri

ジャーメイン・デュプリ

弱冠19歳で全米を掴んだ男、ジャーメイン・デュプリはアトランタ出身のプロデューサー/アーティストであり、その活躍はまさしく八面六臂とも言える程のハードワーカーである。

公開されているプロフィールでは、彼のキャリア80年前半、ダンサーとして始まっているとあるが、その頃からラッパーとしても活動をしていた模様で、地元アトランタで実父が携わったダイアナ・ロスのステージに参加した事を皮切りに貪欲にその活動の幅を全米へ広げていき、’85年にグランドマスター・フラッシュ(Grandmaster Flash)や、ラン・D.M.C.(Run D.M.C.)、フーディーニ(Whodini)らも参加してNYで行われた「フレッシュ・フェスティバル」など、数々の舞台で大御所アーティスト達との仕事をこなしていった。それとともに次第にプロダクションにも携わり始め、’90年にGeffenからリリースされたシルク・タイムス・レザー(Silk Tymes Leather)という女性ラップグループのアルバムにプロデュース参加するに至っている。

’90年代初めに、スニーカーショップで後のスーパーキッズデュオ、クリス・クロス(Kriss Kross)の2人を見つけた、という嘘か真か良くわからないデビュー秘話は、そのシルク・タイムス・レザーとは全く無縁の話ではないらしいが、ともかくその後’92年にリリースされたクリス・クロスのアルバム”Totally Krossed Out”がシングル”Jump”の大ヒットでマルチプラチナムアルバムに認定される売り上げを達成。デュプリはそのアルバムで、ソングライティングとプロデュースとの両方をこなし、ラッパーでもなかった2人のキッズをいっぱしのレコーディング・アーティストにまで仕立て上げるという、10代のプロデューサーとしてはなかなかの大技をやってのけた。その結果当時クリス・クロスがしていた、ジーンズとベースボールシャツを前後ろ逆に着る、という奇抜な服装までが流行るほどUSポップカルチャーに大きなショックを与えている。

その若き才能は、このクリス・クロスのヒットによってシーンと音楽業界の注目を集めるに十分な成功を収め、その先のキャリアで様々な展開を見せてゆく事になる。特筆すべきは、彼が単にプロデューサーという立ち位置のみでその能力を終わらせてはおらず、自らもアーティスト、さらにレーベルオーナーとしても、その手腕の素晴らしさを見せているところである。

彼が設立したレーベル”So So Def”は、’93年にデビューしたエクスケイプ(Xscape)を皮切りに、ファーストアルバム”Funkdafied”で女性ラッパー初の100万枚のセールスを達成したダ・ブラット(Da Brat)、男性4人組コーラスグループという枠で着実に席を確保しているジャッギド・エッジ(Jagged Edge)他、シーンの動向を見据えて的確なアーティスト達をデビューさせてきており、いまだそのブランド価値が下がる気配はない。

自らもアーティストとして活動する事にも余念がなく、JDという呼称で活動。’98年にリリースされたサウンドトラックアルバム”Life in 1492″では、ジェイ・Z(Jay-Z)やナズ(Nas)、DMXと言ったアーティストをフィーチャーして”Money Ain’t a Thang”、”Party Continues”など、クラブでも大ヒットした曲を収録しアーティストとしても高評価を得、続く2ndアルバム”Instructions”(’01)でもスヌープ(Snoop Dogg)やルダクリス(Ludacris)など様々なゲストをフィーチャーして、”Welcome to Atlanta”とそのRemixがクラブ/エアプレイ等で爆発的なヒットを記録した。

勿論プロデューサーとしての立ち位置も、TLCの初期作品から大ヒットしたアッシャー(Usher)の”My Way”等、常にシーンの先端にその才能のくさびを打ち付け、マライア・キャリー(Mariah Carey)やジャネット・ジャクソン(Janet Jackson)らスーパースターの作品も手がけてきた事により不動の位置を獲得。プロデューサーとしてのキャリアだけを参照しても、彼がビジネスマン/クリエイター双方の才覚において、抜きん出ている事がわかる。

近年では、リル・バウワウ(Lil’ Bow Wow/現Bow Wow)やジェイ・クウォン(J-Kwon)等の新人アーティストを発掘・大ブレイクに導いており、本人も”Party Over Here”、”Game Going”等のシングルでクラブヒットを連発していたり、とその活躍振りは止まる事を知らず、常に時代の潮流を見据えた仕事をこなしている。2005年に予定されていたソロアルバム”Green Light”は発売延期となったが、その後もマライア・キャリーの”Emancipation of Mimi”などを大ヒットに導くなど活躍。Virgin Urban Music、Island/Def Jam Urbanなどの社長を歴任するポップス界の重鎮となっている。