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Michael Jackson

Michael Jackson

マイケル・ジャクソン

「キング・オブ・ポップ」。その呼び名がまさに相応しい唯一無二のシンガー、エンターテイナーであり、実に40年以上の音楽活動のキャリアと数多のミリオンヒットを持つスーパースター。

’67年に兄弟ユニットのジャクソン5(Jackson 5)でアポロシアターのステージで優勝を飾り、”I Want You Back”等の大ヒットシングルで世界にその声を轟かせたリードボーカルは、Motownからの初のソロシングル”Got to Be There”(’71)から兄弟グループとは独立したアーティスト活動を開始。Motownからは”Got to Be There”(’71), “Ben”(’72), “Music and Me”(’73), “Forever Michael”(’75)の4枚のアルバムをリリースするも、ジャクソン5程に世界的なインパクトを与えるきっかけはそのもう少し後。

ポップスターの伝説は、マイケルがダイアナ・ロス主演の”The Wiz”でのスクリーンデビューをした時、そのスコアを手がけていたプロデューサーのクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)と出会ったところから始まり、クインシーが初めて手がけたアルバム”Off the Wall”(’79)はそれまで黒人社会中心に聴かれていたブラックミュージックの音楽を、よりボーダーレスに昇華させた傑作アルバムとなった。スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)ら豪華なスタッフがその才能を惜しげもなく披露しているこのアルバムからはタイトル曲や”Don’t Stop ‘Til You Get Enough”、”Rock With You”などのNo.1ヒットを連発。音楽シーンに衝撃を与えた。

その後クインシー&マイケルのコンビは、”Billy Jean”、 “Beat It”、そして”Thriller”等のモンスターヒットシングルが収録されたアルバム”Thriller”(’82)で”Off the Wall”以上の成功を収め、このアルバムとスティーブン・スピルバーグ監督の”ET”のストーリーブックへのナレーションなどで計8つのグラミー賞を獲得。マイケルは名実共にスーパースターの座に着く。その後、2年半もの歳月をかけて制作されたEpic3枚目のアルバム”Bad”でも、三度クインシーとの黄金コンビで制作。プロモーションビデオもセンセーショナルだったタイトル曲の”Bad”や、サイーダ・ギャレット(Siedah Garrett)が絡む”I Just Can’t Stop Loving You”や”Man in the Mirror”、ストレートポップな”The Way You Make Me Feel”、”Smooth Criminal”などの名作ぞろいのアルバムで、2,000万枚以上を売り上げたとされる”Thriller”には及ばなかったものの、それでも800万枚以上のセールスとなるメガヒットアルバムとなった。

さらに”Black or White”や”Remember the Time”を引っさげ、700万枚のセールスを続くアルバム”Dangerous”(’91)で上げ、実妹のジャネット(Janet Jackson)とのデュエットが実現した事で話題だった”Scream”や名バラード”You Are Not Alone”等の新録曲を収録したベストアルバム”History : Past, Present & Future”(’95)も同程度のセールスを達成していく。しかし唯一無二のスーパースターになってしまったが故か、新作を発表するまでの間隔も徐々に開いていき、次のオリジナル・フルアルバム”Invincible”がリリースされるまでに実に5年の歳月がかかった。さらにその間にあった音楽業界の変遷とマイケル自身のスキャンダルが影響してか、セールス的にはかつて程のインパクトは見せられずに終わっている(とは言ってもダブルプラチナムアルバムではあるが)。しかしその影響下でプロモーションがかつてのように大きく展開されなかったにも関わらず、クラブ/エアプレイで大ヒットした”You Rock My World”をはじめ、フロエトリー(Floetry)作曲の美しいメロディの”Butterfly”など秀曲を多数収録したこのアルバムは、やはり現代的なクオリティの高さを保った傑作アルバムと言える。

ソロ・アーティストとしての作品は、上記のように素晴らしい評価を得てきたが、ポール・マッカートニーとの競演(“The Girl is Mine”(“Thriller”収録)、”Say Say Say”(’83))や、ライオネル・リッチー(Lionel Richie)、スティービー・ワンダーら当時のスーパーヒットメイカーたちとのチャリティーコラボレーションによる”We Are the World”等でも色々なアーティストたちと作品に携わっていたり、一方では映画監督ジョージ・ルーカス(George Lucas)らと協力して作り上げた3D作品のキャプテンEO等で映像にも進出したりと様々な活躍ぶりを見せてきた。

現在まで新曲”One More Chance”を含んだ”Number Ones”(’03)や”Ultimate Collection”(’04)、各国のファン投票で収録曲が選ばれた”Number Ones”などのベスト盤をリリースしてきているが、その話題性よりも彼のプライベートでの話題やゴシップが先行しており、有名税と言うには重すぎる状況に置かれていた。特に彼の自邸で子供たちのために解放されていた遊園地、ネバーランド(Neverland)を舞台にした幼児虐待疑惑が2006年に完全無罪を勝ち取るまで、それに伴うマスコミの執拗な否定的な報道ばかりが目だったことが知られている(この裁判の経緯についてはアフロダイテ・ジョーンズ著『マイケル・ジャクソン裁判』に詳しい)。

裁判終結後はマスメディアを避けるように1年余りを中東バーレーンで過ごし、新作制作の情報が流れ始める。その後アメリカに戻り、2009年、久々の、そして自ら最後と語るライブ公演This Is Itを英ロンドンのO2アリーナで行うと発表。同公演のチケットは発売とほぼ同時に完売し、当初予定を大幅に超える50公演が設定された。ところがその開始が間近に迫った2009年6月25日、ロスアンジェルスで倒れ病院に運ばれたが、そのまま息を引き取った。その死に世界中が衝撃を受け、米セールスチャートではマイケル作品が上位9位までを占めるなど改めて強烈な存在感を示す。7月6日にThis Is Itのリハーサルが行われていたロスアンジェルスのステイプルズ・センターを会場とした追悼式が行われ、米TV5大ネットワークはもちろん、MySpace、Facebookなどのネットサービスが全世界で生中継を敢行。その死に至るまで、最後まで破格の人であり続けた。

彼のスーパースター/エンターテイナーとしての資質が生み出した作品、活動は、常に万人が注目するところであり、彼の影響下にあるアーティストたちが現在のシーンの一翼を担っている時代でもあるだけに、今後もマイケルが関わる作品はシーンと人々に常に影響を与えていくであろう。