bmr

bmr>ARTIST db>J Dilla a.k.a. Jay Dee

ARTIST db

J Dilla a.k.a. Jay Dee

J Dilla a.k.a. Jay Dee

J・ディラ

ヒップホップ・ミュージックに大きな影響を与えたデトロイト出身のビートメイカー。

1974年生まれ、本名はJames Yancee。1994年に知り合ったQティップ(Q-Tip)にデモテープを渡したところから、ファーサイド(The Pharcyde)のセカンドアルバム”Labcabincalifornia”(’95)収録の大ヒットシングル”Runnin’”を手がける事になり、その名を一気に知らしめ、一大センセーションを巻き起こした。その後はデ・ラ・ソウル(De La Soul)の”Stakes is High”(’96)のプロデュースや、バスタ・ライムス(Busta Rhymes)の”Whoo-Hah!!”(’96)のRemix等を手がけ、彼の名前とサウンドは急速にシーンに浸透していく。

サンプルチョイスのセンスは勿論抜群なのだが、リズムのプログラミング / アレンジにおいてもそれまでのヒップホップサウンドとは一線を画し、「粒」や「間」などにより重点を置いた全く新しいサウンドを作り出し、一聴すればジェイ・ディーとわかるようなその特徴のあるスネアやキック、へんてこなサイン波ベースのプログラミングが一世を風靡した。特にウマー(The Ummah)結成以降にさらに使用頻度が上がっていく、あのリリースが短く中域?中高域のピークをうまく引き出したスネア(リム?)サウンドは、まさに彼のサウンドタグと言えよう。

その後も、自身の参加していたユニット、スラム・ビレッジ(Slum Village)のシングル群やアルバム(“Fan-Tas-Tic (Vol. 1)”(’96) / “Fantastic Vol.2″(’02))、トライブ(A Tribe Called Quest)の4枚目”Beats, Rhymes and Life”(’96)、および5枚目のアルバム”The Love Movement”(’98)、Qティップ(Q-Tip)のソロアルバム”Amplified”(’99)等、とにかく多数のアルバムやシングルにプロデュースで参加しており、特に彼の手がける”The Light”の大ヒットが記憶に新しい、コモン(Common)のアルバム”Like Walter for Chocolate”(’00)でのプログラミングに関しては、彼のファンキーさがアーティストの雰囲気とマッチした、それは素晴らしいコンビネーションぶりを見せている。

BBEやStones Throw等の良質レーベルから、より「アーティスト」としての扱いでのリリース群もあり、BBEからリリースしている”Welcome to Detroit”(’01)は、とてもイマジネーションに訴えてくるコアなサウンドが詰まっている。さらに、マッドリブ(Madlib)とのコラボレーションユニット、ジェイリブ(Jaylib)でも”The Red”等の素晴らしい曲をJ・ディラ(J. Dilla / Jay Dilla)名義でリリースしており、コアなアンダーグラウンドリスナー達を毎度唸らせている。

2003年ごろロスアンジェルスに居を移すが、この時期に「狼瘡(ろうそう)」という免疫疾患と診断され、制作活動を続けつつも闘病生活を送ることになる。

2006年、久々にソロ名義での作品となるインストゥルメンタル集”Donuts”をリリースするが、そのわずか4日後に狼瘡に伴う合併症で逝去。ヒップホップシーンに衝撃を与えた。以降、「Dilla Changed My Life」といったコピーが流布され、その早すぎる死を惜しむ声は根強い。

本人の遺作として”the Shining”(’06)がBBEより発表され高い評価を受けたほか、2003年の”Ruff Draft EP”が大幅に音源を追加して再リリースされるなど、その作品は死後も発表されている。この時期にリリースが予定されていた日本企画盤”Jay Love Japan”は一部音源のブート流通はあったものの、正規流通には至っていない。

2007年にはコモンがJ・ディラ追悼の意を込めたアルバム”Finding Forever”を発表、バスタ・ライムスもDJミック・ブギー(DJ Mick Boogie)との共作でストリートアルバム”Dilligence”をリリース。亡くなった現在もヒップホップ・シーンにその息吹を感じさせる、稀有なアーティストだ。