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Notorious B.I.G.

Notorious B.I.G.

ノトーリアス・B.I.G.

Christpher Wallesとして生まれ、Brooklynに育ったこの人物は、わずか1作のアルバムを残しただけで急逝したが、周囲からあまりにも期待されていたためにHIPHOP界のアイコンとして永く記憶されることとなった。

10代からラップを始めた彼、またの名をビギー・スモールズ(Biggie Smalles)のデモテープが、ビッグ・ダディ・ケイン(Big Daddy Kane)のDJであったミスター・シー(Mister Cee)の手に渡ったことから、そのキャリアがスタートした。ミスター・シーがさらにそのテープをThe Sourceに紹介し、レコード会社との契約に至っていない優れたアーティストを紹介するコーナー”Unsigned Hype”に掲載される。それがUptownレーベルの若きA&R、Pディディ(P.Diddy/当時はPuff Daddy)の目に留まることになる。

Pディディはビギーをメアリー・J.ブライジ(Mary J. Blige)の大ヒット曲、”Real Love”のリミックスにフィーチャリング・ラッパーとして起用、さらに”Who’s The Man”サントラにデビュー曲となる”Party & Bullshit”を収録させ、注目を集める。そしてイージー・モー・ビー(Easy Mo Bee)を中心にDJプレミア(DJ Premier)、ロード・フィネス(Lord Finesse)、チャッキー・トンプソン(Chucky Thompson)など実力あるトラックメイカーたちのバックアップを受けたアルバム、”Ready To Die”をリリース、ストリートの圧倒的な支持を集めることとなった。

アイズレー・ブラザーズ(Isley Brothers)やアイザック・ヘイズ(Isaac Hayes)、デバージ(DeBarge)といったわかりやすいネタ使いのビートに過酷なストリートライフを描き出すビギーのラップがはまることで好セールスを記録したこのアルバムは、DJプレミアによる”Unbelievable”などの時代を超えた強力なビートをもフィーチャーしたことでその価値をさらに高め、90年代を代表するアルバムに数えられることになる。

ところが1994年、何者かに銃撃された2パック(2pac)との関係がもつれたことから東西をそれぞれ代表するHIPHOPレーベル(とその背後に控える犯罪組織)の抗争の渦中に巻き込まれることになってしまう。この銃撃がビギーとBad Boyの差し金によるものだと主張した2パックに対し、ビギーは”Who Shot Ya”をリリース、ラップを通じての反撃を返す。その流れが暴力的な方向に加速するまま、96年9月の2パックが射殺される。これに続いてビギーも97年3月、Las VegasでのSoul Train Music Awardに参加した帰途、何者かに襲撃され死亡した。当時、彼はセカンド・アルバム”Life After Death”の発売を間近に控えていた。

この事件の真相はいまだ解明されておらず、当局も本格的な追及を放棄するなど不可思議な成り行きをたどった。その後、公式に捜査が休止されたことを受け、民間からの独自の調査を元にNick Bloomfieldがドキュメンタリーを制作。”Biggie and Tupac”というこのフィルムは2002年に公開され、その反響や親族の陳情などもあり、現在は捜査が再開されたようだ。また、この事件が音楽業界に与えた影響は相当なものがあり、東西の和解を訴えるドクタードレー(Dr.Dre)を中心とした作品などがリリースされた。

ビギーの親友、そしてマネージメントからトータルプロデュースまでを行ったきたPディディは、彼の死の直後、生前の録音を済ませていたセカンドアルバムをリリースする。CDで2枚組みという挑戦的なボリュームながら充実した内容だったこのアルバムは1000万枚を売り上げるヒットとなり、ビギーの名声を決定付けることになる。その後もPディディの作品やビギー名義の”Born Again”など多数の作品で彼の未発表録音源がリリースされていき、そのどれもがヒットしていくという皮肉な過程をたどり、彼、ノトーリアスB.I.G. はHIPHOPの歴史にその名を刻み付けた。