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Dr. Dre

Dr. Dre

ドクター・ドレー

キャリアの始まりは18才から所属していたワールド・クラス・レッキン・クルー(World Class Wreckin’ Crew)で、1988年には”Turn Off the Lights”のヒットを生む。が、同年には既にイージー・E (Easy-E)やアイス・キューブ(Ice Cube)らと共に結成していたN.W.A.の”Straight Outta Compton”が大ヒット。レッキン・クルーの活動は対照的に一気に減っていき、そのままN.W.A.に活動のウェイトをシフトさせていく。’89年にはキューブが脱退するものの、EP”100 Miles and Runnin’”とそれに続く2ndアルバム”Efil4zaggin”(’91)は、デビューから着々と築かれた「当時のハードコア」よりもハードなギャングスタスタイルだったところから、イージーのコミックラップへの変遷でパブリックイメージの移行が見られながらも、チャートを上りつめた。が、「ギャングスタ・スタイルなんかをやっていたせいで、知人の死やトラブルに巻き込まれてばかりだった」という彼は、グループ脱退を決意するようになり、 ’92年、レーベル”Death Row”の設立の為にシュグ・ナイト(Suge Knight)に誘われ、それをきっかけにグループを脱退する。

そこからドレの2度目のピークが始まり、1992年に伝説の12″シングル”Deep Cover”をリリース、弟のウォーレン・Gの紹介で知り合った才能・スヌープ(Snoop Doggy Dogg / Snoop Dogg)と共に衝撃的なデビューを飾り、同年にリリースされたアルバム”The Chronic”は最大のヒットシングル”"Nuthin’ but a ‘G’ Thang”等の傑作を収録し、300万枚を超す大ヒットとなる。このヒットによって改めて知名度を上げたドレは、’93年のスヌープのデビューアルバム “Doggystyle”や’94年にリリースされたサントラ”Above the Rim”などの制作を担当し、ヒットメイカーとしての地位を揺ぎ無いものにしたが、’96年の2パック(2Pac)のアルバム”All Eyez on Me”を最後にDeath Rowから脱退。

自らのレーベルAftermathを設立し、Interscopeと配給契約を結ぶと、”Dr. Dre Presents…The Aftermath”(’96)のリリースを皮切りに、2000年に迎える3度目のピークを目指し活動を再開。エグジビット(Xzibit)の大ヒットシングル”X”等を経て、2000年にリリースした傑作”Chronic 2001″は600万枚を超えるセールスを記録。エミネム(Eminem)の発掘やメアリー・J(Mary J. Blige)の”Family Affair”、Eve”Let Me Blow Ya Mind”等のヒットによって、ギャングスタ・ラップでなくともチャートの1位が狙えることを証明。”B**** Please”等のクラブロングヒットや、2001年のスヌープとの正式なリユニオンを飾った映画”Wash”、そのサントラからもヒットシングルを連発。エミネムのシングル”My Name is”(’99)以後の爆発的なセールスも手伝い、現在までに崩落することの無い牙城を築き上げた。50 Centをエミネムと共同でスターダムに押し上げて以来、現在も複数プロジェクトを進行中。