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2Pac

2パック

ここ日本のヒップホップシーンが、今の大きさを形成するまでの経緯を思い返してみる。すると要所で彼の存在がその広がりの起爆剤の一部になっていることに気が付く。

その小さなきっかけの1つ、デジタル・アンダーグラウンド(Digital Underground)に属していたことは、時代が経つにつれて触れられるコトがなくなってきているようだ。91年にリリースした”2Pacalypse Now”では、後にかなりのヒットシングルとなる”Brenda’s Got a Baby”を収録しているのだが、リリース時にはあまり話題にはならなかった。彼のアーティストとしてのもう1つの側面である俳優業の成功を、近代ブラックムービーの傑作”Juice”において収めた結果を待って初めて得られたヒットだったのだ。

続く2ndアルバム”STRICTLY 4 MY N.I.G.G.A.Z…”(’93)からは、”I Get Around”とそのカップリング”Keep Ya Head Up”、その後のカット”Papa’s Song”もヒット。兄とのユニット”Thug Life”でのアルバム”Volume 1″もリリースし、映画もジャネット・ジャクソンと共演した”Poetic Justice”(’93)や”Above the Rim”(’94/サントラには”Thug Life”名義での”Pour Out A Little Liquor”を収録)等に出演し、こういった点でも本国のみならず、日本のシーンにもそのファンを増やしていく。

が、やはり爆発的にリスナーを増やし、カルチャーとしても大きく世界中の注意を引くコトになった出来事は、2Pacが襲撃され5発も銃弾を受けたところから始まった、ノトーリアス・B.I.G.(Notorious B.I.G.)/ パフ・ダディ(Puff Daddy。現P.Diddy。)に代表されるBad Boy勢との確執だった。数年にわたる巨大な東西の抗争にまで発展したこの件は、2人の死後も事件的に釈然としない点を残してはいるが、エミネム(Eminem)やドクター・ドレ(Dr.Dre)他のアーティストの努力により、近年では音楽的にも1つの終結をみている。

95年には、93年に起こしたレイプ容疑の為、襲撃後の判決により収監されるが、同年にリリースした”Me Against the World”はマルチ・ミリオンを売り上げるNo.1ヒットとなり、PVもまさに「ヘヴィープレイ」された”Dear Mama”をはじめ、切られるシングルは全て大ヒット。皮肉ではあるが、件のニュースの話題性も相まって、全米中の関心を集めるアーティストとなる。その後、ウエストサウンドを象徴するレーベルの1つ”Death Row”のトップ、シュグ・ナイト(Suge Knight)に説得され同レーベルと契約。シュグが保釈金を払うことにより保釈されると、そのままレコーディングへ。

その結果、96年には2Pac名義では4枚目のアルバム”All Eyez on Me”をリリース。今でもクラブではヘビープレイされている”California Love”や”How Do You Want It”などがシングルとして切られるや、やはりチャートを席巻し、もはやヒップホップの枠組みを飛び越え、自身の言う”Amerika’z Most Wanted”となった。

が、同アルバム収録の”2 of Amerikaz Most Wanted”や、シングル”How Do You Want It”のカップリングにノトーリアス・B.I.G.とその弟分ジュニア・マフィア(Junior Mafia)をディスした”Hit’em Up”を収録した為に、東西抗争はさらに激化してしまうことになる。そして同年9月、ラス・ヴェガスにて襲撃に遭い収容された病院で他界してしまうが、この事件とアーティスト間の抗争との関連性は未だ明らかにされてはおらず、犯人はおろか動機すらも定かになっていない。

その後は、他界前までに収録していたとされるマキャベリ(Makaveli)名義のアルバム”Don Killuminati: The 7 Day Theory”(’96/Death Row)や、2pacの母がAmaruレーベルを設立・リリースまでこぎつけた”R U Still Down? (Remember Me)”(’97/Amaru/Jive)、”Greatest Hits”(’98/Interscope)、Outlawzとレコーディングしていたという”Still I Rise”(’99/Interscope)や”The Rose That Grew From Concrete” (2000/Interscope)、”Until The End of Time”(2001/Interscope)、”Better Dayz”(2002/Interscope)とほぼ毎年のようにリリースされ、その殆どがマルチプラチナムを売り上げる。

2003年には、家族が企画した伝記映画”Ressurection”プロジェクトで、「彼の母親から託された」ということで、エミネムやドクタードレーらがサウンドトラックを手掛け、そこからのシングルは全てヒット。死後8年、伝記映画のタイトル通り、実は復活したのではないか、と思えるほど彼の「新作」が今もなお続々聴ける。不幸にも同様に他界してしまったビギー同様、死してもなお、ヒップホップシーンに影響を与え続けているアーティストである。