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Nas

Nas

ナズ

Nasty Nas、Nas Eskober、King of NY、数々の異名を持つ男、ナズ。HIPHOP界最高のリリシストの一人に数えられ、数々のクラシックを生み出してきたこの男は、多様な方向性に拡散を続けるこのシーンにおいて唯一、誰からも認められる最高のアーティストだ。

ジャズトランペッター、オル・ダラ(Ol’ Dolla)の息子として1973に生まれた彼は、14歳でドロップアウト、ストリートでの生活に身をおく。そこでのさまざまな経験などを題材に透徹したリリックとライム、洗練されたフロウを磨いた彼は、アンダーグラウンドで絶大な人気を集めていたメイン・ソース(Main Source)のアルバムにNasty Nas名義でフィーチャーされることになる。

わずか18歳の時にリリースされたこの曲、”Live t the BBQ”でパワフルなパフォーマンスを見せて注目を集めるようになった彼は、すぐにMCサーチ(MC Serch)のプロデュースによる”Zeebrahead”サウンドトラックで初のソロ曲となる”Halftime”を披露する機会を得る。この曲でさらにその才能を見せ付けた若者に、NY中のトラックメイカーたちが彼との制作を望むという状況に。

そしてColumbiaと契約を結び、満を持して制作されたデビューアルバム”Illmatic”は、リリース前からクラシックとなることを運命付けられていた一枚だった。このアルバムに参加したプロデューサーはDJプレミア(DJ Premier)を筆頭にピート・ロック(Pete Rock)、Qティップ(Q-Tip)、ラージ・プロフェッサー(Large Professor)など、時代を超えて支持されるサウンドの作り手たち。94年のこの傑作は、当時HIPHOP関連のメディアとして圧倒的勢力を持っていたThe Source誌で史上初めてマイク5本という最高の評価を受けるなど、シーンから熱狂的に迎えられ、そのサウンドは以降のHIPHOPに大きな影響を与えてきた。

一方でコアな層には圧倒的評価で迎えられたこのアルバム、ドクター・ドレー(Dr.Dre)の”the Chronic”が猛威を振るったこの時期にセールス的には振るわず、ナズ本人の知名度が確立された10年後、2004年にリマスターして再リリースされるという珍しい事例をつくることになった。そのフラストレーションを振り払うかのようにリリースされた1996年のセカンド”It was written”は、よりマスを意識したプロダクションを施されている。当時爆発的な人気を博していたフージーズ(the Fugees)のローリン(Lauryn)をフックに、プロデユースには同じく売れまくりだったトラックマスターズ(Track Masters)を迎えたファーストシングル”If I Ruled The World”が示すように、売れる路線を意識したサウンドにコアなファンたちは失望させられたが、一方でチャートアクションは好調となり、2年続けてビルボードチャートにランクイン、ポップチャートでも1位を記録するなど、評価とセールスのバランスをとる作品となった。その後も”I am”、”Nastradamus”と着実にリリースを重ね、97年にはドレーのプロデュースによるスーパーユニット、ファーム(the Firm)としてもアルバムをリリースするが、彼のラップは変わらぬ高評価ながら傑作といえるビートには恵まれないまま90年代後半を過ごすことになる。

そして2000年、地元のクルーや自身の弟を含むQB Finestによるパーティラップ”Oochie Wally”のロングヒットを経て、再びその評価を決定付けた”Stillmatic”をリリース、ジェイZとのビーフなど周囲の状況もあいまって、シーンの話題をさらうことになる。このアルバムからはジェイとの確執から生まれた”Got Ur Self A Gun”、”Ether”などがヒット(アルバム未収録の”Salute Me”もヒット)、最終的にはラジオ局HOT97がジェイZとナズの曲をプレイして人気投票させるなど、驚くほどの過熱ぶりを見せた。他にも、彼の代表曲となる”One Mic”(なんと本人によるセルフプロデュース!)など素晴らしい内容となった”Stillmatic”に続いてリリースされた2003年の”God’s Son”からもHIPHOPの原点を説く”Made You Look”、子供たちに夢の実現を語る”I can”などのヒットを生み出した。

2004年末にはアルバム”Street Disciple”をリリース予定(2004年9月現在)、既にシングル”Thief’s Theme”や”You Know My Style”などがヘビープレイ中。

若くしてHIPHOPの歴史の中でも最高のアルバムを作ってしまった彼だが、その後もその重圧に負けることなく着実にキャリアを重ね、既に貫禄すら感じられる「何をやってもナズならかっこよく思えてしまう」といった存在にまでなっている。