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Aaliyah

Aaliyah

アリーヤ

1979年ブルックリン生まれ。5歳でデトロイトに移住するが、それ以降6歳で舞台を踏み、さらにニューヨークを中心にオーディションを受け続けて9歳からプロの芸能活動へ。1994年、R・ケリー(R. Kelly)による完全バックアップ/プロデュースで、後にR&Bクラシックの1曲となるデビューシングル”Back & Forth”を引っさげ15歳にしてデビュー。リリース直後にビルボードシングルチャート5位、年間24位にランクインし、デビューアルバム”Age Ain’t Nothing But A Number”もビルボードアルバムチャートでは最高で20位につけ、当時のティーン・エイジ・アーティストとしてはアッシャ−(Usher)らと共に常に話題の中心にいた。

続く2ndアルバムでは、話題の絶えなかったR.Kellyとは距離を置くことになり、そもそもR・ケリーを紹介した叔父、Blackground Recordsの創始者のバリー・ハンカーソン(Barry Hankerson)とその息子ジョモ・ハンカーソン(Jomo Hankerson)の再バックアップで2ndアルバム”One In A Million”をリリース。このアルバムからプロデューサーにはティンバランド(Timbaland)とミッシー・エリオット(Missy Eliott)の名前がクレジットされるようになり、ここからAaliyahのヴォーカリストとしての第2ステージが始まる事になる。ミッシーエリオットが「良く知らない私たちに全てを任せてくれて、とても嬉しかった。最高の仕事をしようと決意した。」と言った通り、シングルとしてカットされた”If Your Girl Only Knew”は斬新だった上に高評価を受け、一気にチャートを駆け上る。ダリル・シモンズ(Darryl Simmons)プロデュースの2ndシングルで、至極のスロー”The One I Gave My Heart To”もエアプレイを中心にヒットし、以降、ティンバランド×ミッシーエリオットのコンビとの作品を中心に、R&B界で唯一無二のアーティストとして立ち位置を固めていく。

客演ではR・ケリーの”Summer Bunnies”以降、ジュニア・マフィア(Junior Mafia)”I Need You Tonight”等があるが、2ndアルバム以降にはナズ(Nas)やプレイヤ(Playa)にミッシー、さらにティンバランドのアルバム等、ティンバランド関連の作品に多数参加しており、そのお互いを結んだ信頼関係の深さが容易に読み取れる。サントラ”Dr. Dlittle”収録の”Are You That Somebody”では、そのティンバランドの更なる革新性に富んだプロダクション上でR&Bのサウンドに新風を吹き込み、そのヴォーカルアレンジも沢山のフォロワーを産んだ。

そして2000年に映画”Romeo Must Die”にヒロインとして出演、各チャートでは彼女初の1位を軒並み奪い取った”Try Again”をはじめ”I Don’t Wanna”を含む4曲がサウンドトラックに収録されると、またもティンバランドの新機軸サウンドと共にその存在を印象付ける。そして2001年春、自分の名前を冠してリリースされた3rdアルバム”Aaliyah”は、最終的にビルボード総合チャート1位に輝くのだが、ファーストシングル”We Need a Resolution”のリリース後、不慮の飛行機事故で突如、他界してしまう。次なるシングル”Rock The Boat”のビデオを撮影する為に滞在していたバハマからの帰りだったそうだ。享年22歳。

3rdアルバムの出来は、やはりコレまでのアルバムに勝るとも劣らない内容で、ティンバランド自身は身を奥に潜め、多くの曲を自分周りのプロデューサーに製作を託しているものの、先述の”Rock The Boat”等傑作が詰まっていて、聴けば聴くほど素晴らしいアルバムであり、この年代を代表する一枚だと言っても過言ではない。なお、客演の数も並ではないが、同時に”Sunset Park”にはじまり多数のサウンドトラックにも参加している。特に有名どころで言えば、”Anastasia”の”Journey To The Past”などは数多くリリースされたスロー楽曲の中でも、突出して彼女のヴォーカルが素晴らしくレコーディングされた曲ではないだろうか。

名実ともに1990〜2000年代のシーンを人気、実力、先進性のすべてにおいてリードした強力な才能の持ち主だったと言えるだろう。