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R. Kelly

R. Kelly

R.ケリー

90年代から2000年代にかけて、次々と新たなR&Bスタイルをシーンに浸透させてきたシカゴ出身のシンガー、プロデューサー。

Robert S. Kellyとして1969年にシカゴで生まれたRケリー(R.Kelly)はKenwood Academyで音楽の研鑽を積んだ後、Rケリー&MGM(R.Kelly & MGM)として活動を開始。90年にバリー・ハンカーソン(Barry Hankerson / BlackgroundレーベルCEO、グラディス・ナイトの元夫としても知られる)に見出され、新たにRケリー&パブリックアナウンスメント(R,Kelly & Public Announcement)としてメジャーデビュー。92年にリリースした”Born Into the 90′s”はニュー・ジャック・スウィング末期のシーンでスマッシュヒットとなった。特に”She’s Gotta Vibe”はここ日本のクラブシーンでも定番的人気を獲得、現在も人気の曲の一つだ。翌93年にはソロ活動を開始、露骨にセクシャルな歌詞が話題を呼んだアルバム”12 Play”から”Bump n’ Grind”が初のビルボードポップチャートNo.1を獲得したほか、”Sex Me”といったシングルが94年にかけて大ヒットを記録する。

そして94年、バリー・ハンカーソンの姪で当時わずか15歳だったアリーヤ(Aaliyah)のデビュー作、”Age ain’t nothing but a number”をプロデュース、彼女はシングル”Back & Force”で鮮烈なデビューを飾ることになる。セカンドシングルとなった”At Your Best(You Are Love)”で特に明らかなように、この時期のRケリーのサウンドスタイルは同曲のオリジナルを歌っているアイズリー・ブラザーズ(Isley Brothers)に習うところが強い。このサウンドは同時期にHIPHOPシーンで流行したノトーリアスB.I.G.(The Notorious B.I.G.)”Bog Poppa”(アイズリーズ”Between The Sheets”を使用)などに代表されるアイズリーサウンドのサンプリングとも相まってシーンの中心的な存在感を示すようになる。ちなみに同時期にはアリーヤとの結婚、すぐにこれを解消するなどといったゴシップでも話題となった。

その後はポップフィールドの大物のプロデュースも受けるようになり、特にマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)”You’re Not Alone”がこちらも大ヒット。そしてリリースしたアルバム”R.Kelly”(1995)は400万枚を超すセールスを記録、 “You Remind Me of Something”、”Down Low (Nobody Has to Know)”、”I Can’t Sleep Baby (If I)”がそれぞれR&Bチャートはもちろん、ポップチャートトップ10にランクインするなど、よりメジャーなシーンに受け入れられる存在となった。

そして96年、彼の代表曲の一つとして知られる”I Believe I Can Fly”がMichael Jordan主演映画”Space Jam”サントラに収録され、この曲はポップチャートで2位を記録、グラミー賞2部門をケリーにもたらした。次いでリリースされたアルバム”R.”はCD2枚組みという圧倒的なボリュームで、いわゆる彼の「性愛路線」と、「ゴスペル志向」という2つの軸をはっきり示したものとなった。このアルバムからのファーストシングル”I’m Your Angel”ではポップディーバ、セリーヌ・ディオン(Celine Dion)と共演、第2のビルボードNo.1ソングとなる。逆にこの曲がHIPHOP/R&Bチャートでは5位止まりだったことを意識してか、その後はHIPHOP、DANCEHALL REGGAEのサウンドを消化したスタイルを模索していく。

2000年リリースのアルバム”TP-2.com”からはジェイZ(Jay-Z)らをフィーチャーした”Fiesta”や”Feelin’ On Ya Booty”など当時のトレンドであったオリエンタル(とされる)サウンドをフィーチャー。露出度の高い女性とリッチな生活をアピールするかのようなそのPVスタイルが2000年代の主流となったことでもわかるように、アーバン系のサウンドがメインストリームとなっていく時代の空気を象徴していた音だったといえるだろう。

その後、”Fiesta”の客演返しともいえるジェイZ(Jay-Z)”Guilty Until Proven Innocent”などを経て、2人はHIPHOP界とR&B界の「Best」を名乗る共同プロジェクト”The Best of Both Worlds”(2002)をリリース。トラックマスターズ(Trackmasters)による若干浅いサウンドながら、両トップスターの共演に大きな注目が集まった。ところがここでRケリーと14歳の少女とセックスを撮影したビデオテープの存在が暴露され、同時に複数のセックス・スキャンダルが噴出。地元シカゴでもラジオでのエアプレイ拒否など、ケリーに対する反感が強まることとなる。これらの状況によりアルバム”The Best of Both Worlds”も期待ほどのセールスをあげることはできず終わってしまう。

彼はスキャンダルの嵐に見舞われつつも、アルバム”Loveland”を制作。ところがインターネットへの流出や海賊盤の横行のため、同アルバムはお蔵入りとなり、すぐさま次作”Chocolate Factory”(2003)の制作へ転換。ここからは”Ignition”、”Snake”などこれまたDANCEHALL的色彩の強いビートで歌い、ヒットさせる。さらに70年代的なシカゴ・ステッパーと呼ばれるスタイルにのっとった”Step In The Name Of Love”が超ロングヒットを記録。ベスト盤”The R. in R&B Collection”(2003)からの”Thoia Thong”というフロア向けのヒットを挟んで”Happy People/ U Saved Me”(2004)をリリースした。

この2枚組みの1枚目、”Happy People”は”Step In The Name Of Love”に通じる70年代スタイルで統一されており、タイトル曲もヒット、2枚目となる”U Saved Me”はゴスペルスタイルの楽曲が収められ、Billboardアルバムチャートで2位を記録している。

その2004年10月には再びジェイZとのコラボレーション、”Unfinished Business”をリリース。チャート初登場1位を記録するなど、変わらぬ好調ぶりを見せ付けたものの、同プロジェクトのライブツアーで2人の仲が険悪になり、最終的にはジェイZの取り巻きがケリーに暴行を加えたためにステージを続行できないという事態となる。これに対しジェイZは自らの友人たちを募ってライブツアーを続行。HIPHOPシーンの勢いを改めてアピールした。

とにかく安定したリリースを続けつつ、HIPHOP/R&Bシーンを中心に多数のアーティストの曲を制作し続けている彼、特に2003〜2004年後半までのメジャーなタイトルでは、その名がクレジットされていないものの方が少ないほどのハードワーカーだ。その後、ジェイZとの不和は訴訟に発展したが、このスキャンダルを期にHIPHOP業界から彼に対する反感が芽生えたことは間違いないと思われる。R&Bのリリース量が圧倒的に減少している昨今の状況下で、これに彼がどう対処するのか、音楽的にもゴシップ的にもその動向は引き続き注目されるところだろう。