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Snoop Dogg

Snoop Dogg

スヌープ・ドッグ

N.W.A.脱退後、独自の路線を歩みだしたドクター・ドレー(Dr.Dre)の再起ののろしとなった”Deep Cover”サウンドトラックのタイトル曲にフィーチャーされ、一気に脚光を浴びたのを皮切りに、HIPHOP界のトップ・スターの座をひた走り続ける男がこのスヌープ・ドッグだ。

LAはロングビーチ出身の彼は同郷のネイト・ドッグ(Nate Dogg)、ウォーレンG(Warren G)とともに213というグループを結成、そのデモが当時既にプロデューサーとしての地位を築いていたドレー(ウォーレンGの実兄)の耳にとまり、その作品で大抜擢されることになった。デビュー当時はスヌープ・ドギー・ドッグ(Snoop Doggy Dogg)と名乗っていた彼、ドレーの出世作にしてギャングスタ・ラップ全盛期の始まりを告げた92年のアルバム、”the Chronic”でもリードシングル”Nuthin’ But A G Thang”はもちろんほぼ全編にわたってフィーチャーされ、またたくまにもっとも人気の高いMCの仲間入りを果たした。

悪名高いDeath Row Recordsの中で遅れはしたものの、93年にはファーストアルバム”Doggystyle”をリリース、”Who am I(What’s my name)”、”Gin & Juice”、”Doggy Dogg World”などのヒット曲を生み出し(アルバムセールスが400万枚)、ギャングスタ・ラップとPファンク・ビートを元に独特の陰影をつけたスタイル、 Gファンクの時代を決定付けることになる。

ショートフィルムのサントラとして制作されたEP”Murder was the caseをはさんでリリースされたセカンドアルバム”the Doggfather”は、200万枚を売り上げるものの、ドレーのDeath Row離脱、発売と相前後して発生したレーベルメイト、2パック(2Pac)の死などの逆風を受けてしまうことになる。

その後、Death Rowのトップ、Suge Knightとの確執などを経てNo Limitに移籍、98〜99年に相次いで2枚のアルバムをリリース、粗製濫造の感はあったがイグジビット(Xzibit)の出世作となった”B Please”などがヒットするも、Priorityへ移籍。さらに2枚のアルバムをリリース、それぞれに好セールスを記録。2004年にはそもそものスタートであったグループ、213としてのデビューアルバム”the Hard Way”をリリース、その勢いはとどまるところを知らない。