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Jay Z

Jay Z

ジェイ・Z

ビギー(Notorious B.I.G.)亡き後に残された唯一のBrooklyn’s FinestにしてKing of NY。

1966年12月4日、ニューヨークはブルックリン生まれのラッパー、ビジネスマン。10代でラップを始めると共に、ドラッグディーラー業で資金を稼いではジャズ・Oと共に活動。さらに90年代前半ニュースクール時代に在籍していたオリジナル・フレイバー(Original Flavor)での努力に見合わない評価の低さに嫌気が差し、デイモン・ダッシュ(Damon Dash)らと共に自らレーベル”Roc-A-Fella Records”を設立することを決意する。

Priorityからの配給を確保すると、ソロデビューアルバム”Reasonable Doubt”(1996)をリリース。リリース当初のセールスこそは目立つ物ではなかったが、ヒップホップクラシックと認められたシングル”Dead Presidents / Ain’t No Nigga”のじわりと後効きしてくるヒットや、”Can’t Knock the Hustle”、”Feelin’ It”などのヒットシングルに後押しされて、結果としてプラチナムアルバムに認定されるまで売り上げた。続く2ndアルバム”Volume 1… In My Lifetime”(’97)は、ビルボードアルバムチャート3位まで駆け上り、3rdアルバム”Volume 2… Hard Knock Life”で遂にチャート1位を獲得。タイトルにもなった”Hard Knock Life (Ghetto Anthem)”は、45Kingがプロデュースした大ヒットシングルで、ミュージカル”Annie”のサントラからサンプリングしているという点で、サウンド的にもセンセーショナルな1曲だった。さらに”Can I Get A…”などのヒットが続き、500万枚以上のセールスを記録。この時点でジェイは完全に押しも押されぬトップアーティストとなった。

その後もDJプレミア(DJ Premier)との”So Ghetto”やティンバランド(Timbaland)プロデュースの”Big Pimpin’”などの大ヒットを生んだ”Volume 3… The Life & Times Of Shawn Carter”(’99)、”I Just Wanna Love U (Give It To Me)”でネプチューンズサウンドの更なる人気を引き出した”The Dynasty Rock La Familia 2000″(’00)とマルチ・プラチナムセールスを記録。時代の少し先を行くビートを選び取り、いち早く乗りこなしてみせるセンスとラップスキルでその評価を確立。2001年の”Blueprint”ではカニエ・ウェスト(Kanye West)プロデュースの傑作”Izzo (H.O.V.A.)”やスリック・リック(Slick Rick)等をゲストに迎えた”Girls, Girls, Girls”などの、エポックメイキングなサウンド満載のアルバムをリリース。このアルバムリリースと前後して、ナズ(Nas)との間で「キング・オブ・NY」の名を巡るビーフが最高潮に達し、ラジオ局HOT97のファン投票で敗北を喫する。しかし同作をアレンジしてMTVの名物企画番組”Unplugged”にザ・ルーツ(The Roots)を従えて出演するなど、サウンドもアクションも全て革新的で、the Source誌の最高評価「マイク5本」を獲得もしている。

2002年にはR.ケリーとのプロジェクト”The Best of Both Worlds”をリリース。話題の2人の共演とあって、こちらも当然ヒットしたが、R・ケリーのスキャンダルのためにツアーやプロモーションも中止される結果に。しかしその後にCD2枚組みでリリースされた”The Blueprint 2: The Gift And The Curse”も当然のようにヒット。直前から交際が噂されていたビヨンセ(Beyonce)とのデュエット”’03 Bonnie & Clyde”やネプチューンズの新境地”Excuse Me Miss”などがヒットしている。Roc-A-Fella Recordsも既にメンフィス・ブリーク(Memphis Bleek)やビーニー・シーゲル(Beanie Sigel)等の若手が成長し、レーベルとしても業界全体に影響を与えるまでに成長していた。

しかし「初めから計画していたことさ」と「次のアルバムを最後に引退」を宣言。2003年末にリリースした”The Black Album”をリリースすると、”Change Clothes”や”Encore”、”99 Problems”をシングルカット。その後、形の上では宣言どおりに引退。ビジネス方面のニュースに頻繁に名前を出すようになる。

とはいえ、2004年も彼は多忙を極めた。まずはR・ケリーとの、中途半端な形で終わっていたコラボレートを再び実現。”Unfinished Business”をリリースし、大規模なツアーを開催。ところがこの間両者の関係が悪化し、最終的にはジェイ・Zの取り巻きがライブを途中でストップしたR・ケリーに暴行を加えるという事件が発生。ジェイ・Zは多数のゲストアーティストを急遽参加させて一方的にライブを敢行したものの、事件については裁判に持ち込まれている。同年、さらにリンキン・パークとコラボレートして”Collision Course”を発表、こちらも大ヒットさせている。ビジネス面ではヒップホップの名門レーベルDef Jamの最高経営責任者に就任、レーベル経営に乗り出す。多くの新人と次々に契約、ヒットさせていくが、なかでも最大のヒットとなったのはリアーナ(Rihanna)だろう。R&Bシンガーがヒットする一方でヒップホップ・アーティストは目立つヒットを残せず、このことについてLLクールJ(LL Cool J)などから「ジェイが多忙だから」「自分もラッパーだから」同じラッパーのプロモートに力を入れないという不満もこぼれるようになる。

これらの不満に限らず、50セント(50 Cent)とザ・ゲーム(the Game)の関係悪化など、ラッパー同士の対立が激化する状況下で2005年には”I Declare War”コンサートを開催。「宣戦布告」を意味するタイトルに、標的は誰かと大いに騒がれたが、実際にはこのライブに仇敵ナズが登場し、2人の和解を公表。ナズがDef Jamと契約するというどんでん返しを演出し、自身もアルバムの制作を開始した。

2006年にはアルバム”Kingdom Come”でアーティスト活動に正式復帰、初週売り上げが60万枚を超え、わずか1週間足らずでゴールドディスクを達成し、その人気をさらに確かなものとした。2007年には映画『アメリカン・ギャングスター』にインスパイアされた新作”American Gangster”をリリースし、トータル10回目の初登場1位を獲得。

アーティストとしての活躍はもちろん、レーベル運営やクラブ/スポーツバーである40/40チェーン、アパレルRocawear、メジャーリーグやNBAなどへの参画と多方面で精力的な活動を展開。いちラッパーという枠をはるかに飛び越え、自らラップしてきた「ハスラー」としての生き様を見事に大成功させている人物だ。